sasakittyの日々の記録です。
#[PR] |
CATEGORY : [] |
#中河原スタジオ |
CATEGORY : [特殊な場所] |
1970年代から、大映テレビの『スチュワーデス物語』『不良少女と呼ばれて』『スクール☆ウォーズ』を始めとする数多くの映像作品を支えて来た、中河原スタジオ(多摩府中スタジオ)が、遂にその永い役割を終えました・・・。
3つのステージから成っていたスタジオでしたが、更地に近づくにつれて意外と広い敷地だったと言う事が解りました・・。 今後はマンションか何か建つのでしょうが、僕に取っては本当に縁起の良い場所でした。 初めて仕事をしたのは、背景を描いていた時代ですから、1993年頃だったと思います・・。 ボコボコのホリゾントに遠見のマンションの背景を描いた事を思い出します。 その後、一括で借り受けていた大映テレビさんが撤退して、一般の貸しスタジオとしてスタートし、僕自身もデザイナーとして初めてセットを組ませて頂いたのは 1996年5月に金曜エンターテイメントと言うフジテレビ系の番組の「殴る女」と言う作品で、柳葉敏郎さんと安田成美さんが暮らす・・アメリカのテレビドラマみたいな変な部屋を作らせて頂きました。 その同じ年の10月には、今井美樹 さんの代表曲とも言える「PRIDE」と言う曲のPVを撮影させて頂きました。 ディレクターの中野裕之さんから「倉庫みたいな場所は無いかな・・」と相談されたのが切っ掛けですが、メークルームのセットやら、シトロエンを持ち込んだりしての楽しい撮影でした。 その翌年の1997年の1月には、イワモトケンチ監督の長編コマ撮り作品の「じょうじなまはげ」パイロット版の実写パートと素材撮りをしました。 「じょうじなまはげ」自体は未だに語り草と成る伝説のアニメ作品として高い評価を頂き、海外のアニメーションフェスティバルでも賞を頂いた作品です。 そして1998年9月にはNTTさんの企業VP「N氏の優雅な休日」と云う作品を撮影しました。デジタルの時代が訪れると、世の中がどれほど便利に成るかと言う・・今でこそ当たり前なインタラクティブの世界を表現したVPですが、アジアとヨーロッパの境界にあるレトロフューチャーな架空の街を作りました。 この仕事も、VPの割には凝った映像表現と強烈な世界観の為か・・海外のVPのコンクールで賞を頂いたそうです・・。 同年の10月には宇多田ヒカルさんのデビュー曲「 automatic」のジャケットとPVもこのスタジオで撮っています・・。 単純に予算は無いけど面白い物が撮りたいと言う時に、大変威力を発揮するスタジオと言う位置付けを決定づけた年でした・・。 そしてしばらく開いて2003年の2月にT.M.Revolution さんの「Meteorーミーティアー」と言う曲のPVを撮影致しました。 このPVも近未来の都市を表現したミニチュアセットと合成を多用した仕事で、ひたすらミニチュアの素材と、車の中での西川さんを撮り続けた思い出が在ります。 そして翌年の2004年の4月には「お父さんのバックドロップ」と言う劇場公開の映画の撮影で、金剛園と言う焼き肉屋さんのセットと、主人公の神木隆之介くんの暮らすアパートの部屋のセットを組ませて頂きました。 この作品も、低予算な割には評判も良く、大日本プロレスの皆さんの熱演が光るプロレス映画の名作でした。 そして2007年・・テレビ東京の連続ものの深夜ドラマ「魔法先生ネギま!」と言う仕事を最後に、永きに渡ったスタジオの生涯に幕を閉じました。 最後の「ネギま!」は基本線をデザインしただけで、ご意見番みたいな立場での関わり合い方でしたが、連日、若いスタッフやキャストの活気在る声が現場に飛び交っていました。 同録中を告げる赤灯だけが、ポツリと残って居ました・・。 僕には縁起のいいスタジオでしたが、録音部さん泣かせのスタジオであった事も事実だった様です。 PR |
|
コメント[ 1 ] トラックバック [ ]
|
COMMENT |
無題
「このスタジオで撮影しよう。」と提案した時にどういう反応をするかでその人のもの作りに対する考え方がわかる、とSasakittyはよくおっしゃっていましたね。ここはスタジオでなく、もはやロケ地のような場所でした。中河原スタジオ本当にお疲れ様。
【2008/02/0819:08】||兎田#984d8679f4[ EDIT ]
|
COMMENT WRITE |
|
TRACKBACK |
トラックバックURL |
忍者ブログ[PR] |