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2017年08月21日  04時01分
永仁の壷事件
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以下、引用です
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 大正12(1923)年、10年程前に発見されていた、永仁2(1294)年製と銘打たれた日本の古陶磁の中で最古の2つの瓶子が、小山富士夫文部技官によって重要美術品として提案される。
 小山が永仁銘瓶子を真作であるとする根拠は、瓶子の発見者であり小山に永仁銘瓶子を引き合わせた陶芸家加藤唐九郎が窯跡から発掘した大量の陶片と、永仁銘瓶子の素材の質の一致であった。
 しかし、国宝保存会議は銘文の記し方などに疑問を持ち、重美指定を否決した。昭和34(1959)年、美術品の海外流出が顕著となっていた時代背景の中、2つの永仁銘瓶子のうち1つの所在が不明となったことを知った小山は、もう1つの永仁銘瓶子の海外流出を懸念して重要文化財の指定を推奨し、永仁銘瓶子は重要文化財に指定された。
 同年行われた展覧会への重文としての出品が、永仁銘瓶子の疑惑を再び加熱させた。疑う理由は、銘文の不自然さ、形態、重量の不自然さなど数多く上げられた。この瓶子が発見された愛知県の地元研究グループが調査を行い、その結果、小山が根拠とする陶片の真贋も含め、加藤唐九郎に対する贋作疑惑が強まった。
 昭和35(1960)年、加藤唐九郎の長男が贋作制作に携わっていたことを暴露し、次いでパリにいた唐九郎も永仁銘瓶子は自らの手による贋作であることを告白した。昭和 36(1961)年3月、永仁銘瓶子の重要文化財指定が取り消された。
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 その関係者の一人に、窯業の技術研究を生業として居た、私の爺様●●壽男氏(検索用に匿名)も居たらしく、何個か製作した物の一つを頂戴したそうです。

 別に、壷を古物商に売って,一儲けしようと思った訳でも無いそうですから、作品と言う物は何時の時代のどんな物でも一人歩きして仕舞う物なのでしょう・・・。

 その爺様も、喧嘩っ早かったらしく、窯業を基軸に「耐火煉瓦」「碍子」「ガラス」等の技術開発で大正・昭和の産業の発展に「技術屋」として、尽力しつつも放蕩の限りを尽くし・・・行方知れずに成る事屢々(しばしば)・・・子供達の就職の為に、夫婦は籍を抜き・・・事実婚と言う、実に奇妙な境遇だったそうです。
 大正〜戦前なんて、そんなドラマが一杯在ったのでしょうな・・・。 

 ト云う訳で、本日の画像は・・・

 私の祖母・タマエさんが、愛知県の知立駅前で営んでいた「玉夕」と言う飲み屋の燐寸・・・。

 カレコレ40年位前に製造された物ですが、親戚の家では未だに実戦配備されていました・・・。

 ライターなら使い物には成りませんが、マッチは丈夫なんですな・・・。

何とも言えない気持ちです・・。


 因に二つの家紋の意匠は・・・。

「丸に鷹の羽」は母方の実家の紋ですが「違い鷹の羽」に成っています。
そしてもう片方が・・・
 偶然だか、佐々木の分家に多いい「丸四つ目」と言う紋です。

 娘の嫁ぎ先の事を気にして造ったとはとても思えませんから、何かの偶然かと思いますが、奇怪な物です。
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2010年08月16日  06時41分
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