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2017年07月24日  15時49分
トモゾウと大介
CATEGORY : [未選択]

 時より薪で焚く風呂に浸かりたくて銭湯に行きたく成ります。


家の都市ガスで焚く風呂とは何だか違う様な気はするんですけど・・・唯単に湯の温度が高いだけかも知れません。


 本当は水質も影響しているんでしょうから、色々な点で違うんでしょうが、公共的な温度な為、自分では調節が利かないと云うサディスティックな所が銭湯には在って、わざわざ熱いのを解って居て我慢し手入ると云う、実にマゾヒスティックな欲求が入浴する側にも求められるのでしょう。 そんな事はどうでも良いのですが、正月三日の日曜日の夕暮れ時、湯船から上がって脱衣所に行くと、80は裕に越えた老人と20代後半の若者が脱衣所に入って来ました。
 老人の方はちびまる子ちゃんのトモゾウさんを見たいな風体の老人で、若い頃は結構威勢の良さそうな感じの老人で、若者の方は宮川大介似の風貌の良く居るタイプの若者です。


 「トモゾウさん(仮名)椅子座って下さい」


宮川大介(仮名)が銭湯の脱衣場に良くある丸椅子を差し出すと、トモゾウはちょいと腰掛け乍ら靴下やシャツを脱ぎ始めました。 何時も通りの慣れた感じです・・宮川大介が「体温計って下さい」と体温計を差し出すと脇に挟んで体温を測り始めました。 「後血圧も測ります・・」大介が声を掛けると上の空で頷いていました。


 どうやら孫とか親族では無く介護のヘルパーさんだった様です。


大介もパンツ一枚でしたから、恐らく一緒に風呂に入るのでしょうが、正月から仕事と云え・・実に大変な労働です。


 あのぐらいの若者だと、親と一緒に温泉すら行かないと思いますから、赤の他人の老人の介添えをし乍ら1時間ぐらい銭湯に居ると言うのも可成りの割り切りと体力を要する事でしょう。
 トモゾウの家族はそれなりに介護の会社に料金を支払って居るだろうから・・半日ぐらいでも1万三千円は掛かっている事と思います。


 しかし、派遣の宮川君はせいぜい千円ぐらいの時給ですから、責任の割には重労働な気もします。 
 まあ、三が日ぐらい家族の負担を軽減させる為にヘルパーさんを頼んだりして居るかと思いますが、世の中大変な時代に成って居るんだなと・・つくづく感じました。
 人の役に立つ仕事をしたいと志してやって居るとは思いますが、足下も覚束ない老人を引率して銭湯に行くなんて自分にはナカナカ出来ません。
 万が一、洗い場で滑って転んだらとか・・・湯船で脳溢血で倒れたらとか・・責任は負い切れません。  咄嗟に動ける様に、ホールド感のある上履きと単パンで洗い場に入りたい所ですが、銭湯にそんな格好では野暮もいい所です。
 正月が来る度に、餅を食うのも風呂に入るのも命懸けに成るんだなと感じる40台最後の三が日でした。





























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2016年01月04日  09時46分
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お手軽冷やし中華
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今月は図面に忙殺されていたので全く酩酊街道を書いて居なかった事をやや反省。
とは言え喰い物の話が続くのも如何な物かと思いながらも・・・本日は冷やし中華です。

 ボチボチ秋に成るというのに・・・うちの近所の100円ローソンで売られていた「お手軽冷やし中華」
105円から更に30円引かれていますから、75円ですよ。


 通常麺だけ買っても60円はしますから、流通コストや錦糸卵やハムや汁の値段を足したら原価割れしているんですかねぇ。
 
 先日も定価250.000円するビルトインタイプのガスコンロを2台注文する羽目に成ったのですが、単純に2台で50万円ですよ。
 25万円のビルトインコンロですから10年は楽に使える商品ですから1年で2万5千円。1日の使用料は68円。
一日3食料理を作る人にとって見れば・・1回の使用料23円。
 お手軽冷やし中華が75円ですから・・ガス器具の使用料23円(燃料費別)は安いか高いか微妙ですな。

そんな話では在りません・・・。

 25万円のビルトインコンロがインターネットで調べたら103.000円だったのです。

ネットの通販で・・着払いが条件で・・・到着日が指定できなくて、返品が利かない・・・。

 凄い商売が在ったものです。

要は、
 ◯代引きなので、現金を持った責任者の居ない取り付け先に直送できない。  
 ◯送料無料と言いながら・・巧妙に代引き手数料で運送屋さんに利益が出るようにしてある。  
 ◯販売店の倉庫ではなく委託の物流倉庫なので発送日が断言できない。
 ◯最近のお約束・・開封後の返品は利きません。
 
その為何回か取引の有るガス器具屋さんに見積もりを取った所・・1台134,000円が限界とのこと。

 その差額実に6万6千円ですよ・・。
30世帯有るマンションでしたら更に莫大な額に成るわけです。

 嘗ては建築メーカーはその付帯する設備費で儲けを出していたわけですが、エアコンだろうがガス器具だろうが電気器具も全部 ネット量販店の価格が基準に成って来ていますから、全く商売になんか成らないそうです。
 昨日も金物屋さんの御主人が、最近は鋸の鋸が使い捨てだから・・目立て屋が商売に成らずに廃業していくとボヤイておりましたが、その金物屋さんもボンド(接着剤)と爪切りが100円ショップで売る様に成ってから・・殆ど出なく成ったので売るのを辞めたと仰ってました。

 こちらも金物屋さんの気持ちは死ぬ程解りますから・・責任問題を問われるぐらいならお客さんに「ネットで探して買ってきて貰って良いですよ」と答える事にしてますよ。
 
 右から左に伝票を回すだけで20%利益をあげていた事も問題が有るんでしょうが、昔はまだどこの問屋や商店も在庫を抱えていました。
 在庫を置かなくなって・・・メーカー直送なんて事なんですから、安く出来て当たり前なんでしよう。

 昔なら配達のオジサンも・・配達のトラックも・・配達の倉庫も自社管理ですけど今では全て業務委託です。
 そんな結果・・・75円の冷やし中華なんて変な商品が生まれてきたり・・。
中国製のビジネススツールを20脚買ったら100個必要なキャスターが合計で3個足りなかったり・・。
 色々な事が起こるわけなんでしょうな・・・。

それでも需要と供給は成り立っているんですから文句を云う筋合いではないのでしょうかねぇ。

 何れ淘汰されると信じておりましたが・・自分が淘汰される方が早かったりして・・・。
それも又世の習いですなぁ。

 しかし・・「お手軽」とは良く見出した日本人的な言い回しですね。





































2013年09月24日  16時11分
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梅屋敷 寿し平
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 梅屋敷に移ってから、寿司に対する考え方が大きく変わったのは紛れも無い事実です。

理由は海苔。

 この町の寿司屋さんは、本当に海苔に対する拘りが尋常では無いからです。
 そりゃぁ、どの店も30年以上暖簾を出している店ですから、地元の海苔屋の旦那衆相手に寿司を握って来た職人さん達です。  
 下手な安い海苔なんかで巻きもんを出した日には、折角切ったシャリと‥‥朝から仕入れたネタの値打ちも台無しに成るからです。
 
 そんな事も在りまして、何軒も地元の鮨屋さんの暖簾を潜って来た訳ですけれども、先日伺った店は「寿司平」さんと言う、ご家族二代でご商売なさって居る寿司屋さんです。
 元々先代の御主人は地元で海苔漁師をなさっていた方で、立派な海の男です。

 今の大森近辺が嘗て漁村で在ったと言う事も、ナカナカ想像が付き難く成って仕舞いますが、オリンピックの開催が決まり、漁業権を手放すまでは、江戸前の浅草海苔の産地として活況を呈していたのです。
 
 そんな先代の後を継いで、僕と同じ年頃の若旦那が若女将さん・・大女将さん(若旦那のお母様)と共に四人で切り盛りなさって居るアットホームな寿司屋さんです。
 
 若旦那も寿司業界だけではなく、永年の割烹の世界で武者修行をされて来た方ですから、単なる町場の寿司屋さんと云った単純な認識で居たら大間違いで、付け出しから煮付けから・・並のレベルではないのです。
 先日は「鰹」狙いで伺ったんですが、生憎早い時間に全部捌けちゃったらしく、寂しさに打ちひしがれて居るsasakittyに対して出して呉れたのがこれ・・・。

 マグロの赤身を軽く炙って、大根おろしとポン酢で頂くのですが・・・これが絶品。

 普段は食い物の画像なんかハシタナイので撮りませんが、前伺った時・・酩酊街道に書けなかった事を後悔して‥‥今回は撮っています。

 そして・・「今日は何もないよ〜!」と若旦那が仰っていたので、お任せで握って貰いましたが、一発目の穴子に先ずヤラれました。
 
 軽く炙った穴子ですが、口元に運ぶ瞬間ほのかに柚子の香りが鼻に抜けるのですよ・・・・。

この店の若旦那は「香り」楽しませる技を数多く持って居るのです。
 余りの衝撃のため画像はありません・・・。

小鰭の〆具合も・・エビの蒸し具合も素晴らしいのですが、終盤戦立て続けに出てきたのが干瓢巻きと雲丹とイクラの軍艦巻・・・。
 あんまり寿司屋さんで干瓢巻きなんか食べた事ありませんでしたが・・・素晴らしいのですよ・・。
真っ黒なまでに煮染めた干瓢の甘みと・・・海苔の香りと歯応えが・・こんなにも干瓢巻きというものが
奥深い味わいなモノかト云う‥‥今まで体感した事の無いモノでした。
 
 玉子をスイーツにあがりを頂いて、至福の時は終わるのですよ。
江戸前ト云う文化は素晴らしいですなぁ。
 
 師匠から教わっただけでは表現し切れないのが、寿司職人とバーテンダーの世界だと思いますが、今の40台半ば頃の職人さんは、実に良いバランスの遊び心とセンスの良さが在りますなぁ。
 我々酔客も、ナカナカその良さを引き出す事は難しいんでしょうが、作り手とのセッションが楽しめる素敵なお店でも在ります。

 寿司平
大田区大森中 































2013年05月22日  14時30分
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大日本プロレス 「マクベス」
CATEGORY : [未選択]
遂に始ります大日マクベス・・・。
 大変お待たせ致しました。
今回は、前作「ロミオVSジュリエット」前々作「リア王」と続いた、大日シェイクスピアシリーズの最終決戦です。

 そして佐々木プロデューサーに突きつけられた、登坂統括部長からの挑戦状は「2daysやれませんか?」と云う恐ろしいモノに・・。
 数々のエンターティメントプロレスが試みられている昨今、WWEでも2Daysは当たり前ですが・・我らの作品はデスマッチです。
 同じ形式を2日やる訳には行きません。
売られた喧嘩は子供からでも買うのがsasakittyですから、思案の日々に入りました。
 「思案」と変換すると「シアン」と出て来るぐらい、ブルーな日々が続く訳ですが、
そんな在る日、大会の始る前の後楽園ホールの廊下で、試合前の関本大介選手と擦れ違って挨拶した瞬間に、閃きました・・。
 そうです・・。
大日本には今や・・「ストロングBJ」と云う脅威の二枚看板が居るのです。
 
 そう考えたら胸の仕えは一気に取れて・・2つの物語が誕生した訳です。

「2つの真実、二人のマクベス!!」

今回は、「デス・マクベス」と「ストロング・マクベス」二人のマクベスの物語を御覧に入れます。 ご期待下さいませ!!。


マクベス~MACBETH~
11月29日(伊東マクベス)・30日(関本マクベス)
横浜赤レンガ倉庫1号館3階ホール
18時半開場 19時開演 
上演時間2時間半(休憩15分)

2008年『リア王』2009『ロミオVSジュリエット』に続く2年ぶりの流血のシェイクスピア最終章。3部作の最終章となる本作は、4大悲劇のひとつであるマクベスをかつてない2DAYSWキャストで開催する。デスマッチファイターである伊東と、ストロングファイターである関本は当然ストーリーも試合形式も変わることが予想される。またマクベス夫人といえばオペラのモデルにもある希代の悪女。佐々木貴と李日韓がどのような"悪”を演じるかも見逃せない。原作では己の野心に溺れてゆくマクベスが、2人のレスラーによってどう表現されるのか、必見の2夜。

Wrestler&Actor

29日伊東マクベス マクベス 伊東竜二/マクベス夫人(パートナー)佐々木貴/バンクォー アブドーラ・小林/マルカム王子 竹田誠志/マクダフ 葛西純/ロス 谷口裕一/ヘクター 宮本裕向/アキレス 木高イサミ 

30日関本マクベス マクベス 関本大介/マクベス夫人 李日韓/バンクォー "黒天使”沼澤邪鬼/マルカム王子 石川晋也/フリーアンス 岡林裕二/マクダフ X(未公表)/ロス シャドウWX/ヘクター 佐々木義人/アキレス 忍

両日出演 ダンカン王 MEN’Sテイオー/老シーワード グレート小鹿/ヘカテ 大黒坊弁慶/魔女U・マキコ 星野勘九郎/魔女H・スヤマ 八代進一(花組芝居)/魔女M・サヨコ  大井靖彦(花組芝居)/魔女の分身 バラモンシュウ・バラモンケイ/ピアニスト 小川類/潜水夫 ボクデス/レノックス レノックス 大橋篤/ケイネス 河上隆一/メンティス 橋本和樹/アンガス 塚本拓海/ピーター 大谷将司/セバスチャン 新土裕二/デスかも

TICKET特別リングサイド 7000円
A指定席 6000円/自由席 4500円
立ち見席(当日券のみ)3000円
BJ-SHOP横浜 チケットぴあ ローソンチケット イープラス 

 マクベス原作スコットランドの将軍マクベスと友人バンクォーは、陣営に戻る帰路、荒野で三人の魔女に出会い『マクベスはコーダーの領主となりいずれスコットランドの王になる、バンクォーは王にはなれぬがその子孫は王になる』という予言を受ける。ひとつめの予言はすぐに現実となり、マクベスは王位への野心を抱き始める。これを聞いたマクベス夫人は、ともすれば気弱になる夫を奮い立たせ、力づくで王位を手に入れようとダンカン王暗殺を企てる。/父を殺された王子マルカムは命の危険を察知し他国へと逃げ延びる。忠臣マクダフは、マクベスのことを不審に感じる。

王位を手に入れたものの子を持たないマクベスは、このままでは魔女の予言通りバンクォーの息子に王位を奪われることになると、バンクォー親子に刺客をさしむける。王就任の祝宴の席でマクベスはバンクォーの亡霊を見てとり乱す。

不安から逃れたい一心で、マクベスは再び魔女のもとを訪れる。そこで『マクダフに気をつけろ』『女の股から生まれたものにマクベスは負けない』『バーナムの森が動かぬ限りマクベスは滅びない』という予言を受ける。/マクダフは亡命した王子達を説得し王位奪還の闘いが始まる。予言を信じるマクベスは虚勢をはり続けるが、敵軍が身につけた木の枝をバーナムの森が動いたと勘違いし覚悟を決める。そこでマクダフが女の股ではなく帝王切開で生まれた真実を知りはじめて自分が魔女たちにかどわかされてきた事に気づくのだった。



















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2011年10月04日  16時44分
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大プロデューサー
CATEGORY : [未選択]
東宝さんの装飾倉庫の事務用品の場所で発見した大量の印鑑。
その中に、かつて東宝の一時代を築いた大プロデューサーの名前が…。





























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2011年09月30日  20時49分
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鮫洲試験場
CATEGORY : [特殊な場所]
 先日、平日に時間が出来たので、役所廻りの1日という事で・・・朝から全ての行程を徒歩で、届け出回りをして参りました。
メニューは・・
 区役所の大崎支所で移動届けを出した後に、郵便局で横浜銀行から送付された書留を受け取り・・・東京電力の口座振替の届けをして、大崎警察で古物商の届け出の変更届を出して、警視庁の鮫洲運転免許試験場で住所の変更をする・・。と云った内容です。

 8時30から全行程スムーズに行けば、1時頃には鮫洲試験場のディープな食堂で、コロッケカレーでも食べようと画策し・・事務所を出た訳です。
 役所廻りのスタイルと云えば、カッターシャッにネクタイで紺のパンツに信用金庫の皆さんも愛用して居るボアの付いたドカジャン・・。
 震災直後だった為に・・足下は安全の為に半長靴。 勿論裾はブーツインです・・。
1960年代の土建屋の社長と云えば・・解り易いスタイルです。
 ヘルメットを着用すれば完璧でしたが、警察に行くときヘルメット着用だと・・話しがややこしく成るので割愛致しました。
 
 とは云え・・日中長時間、紫外線やら花粉やら放射線やら浴びて歩く訳ですから、緑色のセマウル運動帽を被る訳ですが・・・最早・・何を目的としているか不明な出立ちと成りますが・・・20年位前迄の公的機関の視察スタイルを醸し出して居るのは、玄人が見れば解ります。
 「役所の方から来ました」と云って、消火器を売り歩いたり・・耐震補強のリフォームの話しを持ちかければ、70歳以上の老人なら100%の信頼を得る事請け合いです。
 
 先ずは大崎の区役所の支所に行って、移動届けを出します。
引越前に印鑑証明を取りに行った時、ついでに移動届けを出そうとしたら、「引越後でなければ受け付けられません・・」と云われた物ですから、面倒ですが引越後2週間が経過した頃に提出という事と成りました。
 そして、支所の在る場所から400メートル位 五反田方面に戻った大崎郵便局で書留を受け取る訳ですが、書留を受け取る際には身分証明と成る物を掲示しないと受け取れませんが、生憎免許証に記載されて居る住所と郵便物の住所は違いますから、一番信用性の在る免許証は身分証明としては使えません。 
 何か無いかと思ったら、先程届け出の際に貰った健康保険証がありました・・・。
あの・・世の中で一番偽造し易そうな身分証明証です。

 そして書留を受け取ると、次の届け出は郵便貯金の口座から東京電力への振替の手続きですが・・ココでつまづく分けです・・。
 印鑑もカードも諸々在るのですが・・通帳が無いと口座振替の手続きが出来ないそうなのです・・。
 水道局なんか電話1本で大丈夫だったのに・・・この対応の違いはなんだろうと疑問に思いつつも・・ごねる事無く撤退致しました。
 
 通帳を取りに事務所に戻るか・・前進するかと云えば・・ココは前進です。
次なる目標は大崎警察の生活安全課です。
 節電のため、受付の在る二階迄階段を上がる訳ですが・・余りの不明な格好に・・警察の皆さんの視線が集まるのが解ります・・。
 
 古物の担当者の方から申請書を預かり、諸々記載し直して提出する訳ですが・・なんと住民票が必要な事が発覚・・。
 大崎署から品川区役所へと住民票を取りに歩きます・・。
品川区役所迄歩くと・・鮫洲の試験場は割と近いですから・・試験場で住所変更を先にする事に予定を変更・・。
 試験場でのディープなランチを断念して・・大崎警察へと戻ります。
途中、茶店で古物の申請書を三枚書き上げて・・大崎署に戻り、書類を提出し終わり・・事務所に戻る道すがら・・突然大崎署の古物担当の方から電話が入りました・・。
 なんと、提出した書類の書式が古い物で・・再度書き直して欲しいとの電話・・・。

「古い日記」では無く「古い書式」です・・・・いやはや困った物ですが、300メートル位引き返します。

都合三回大崎署を出入りした訳です・・。

 いやはや・・
バイクなんかで廻れば2時間位で済みそうな用事でしたが、5時間位掛かりました・・。
 途中、仏具屋さんやら普段訪れない様な商店で買い物をし乍ら、結構楽しめた散歩でした・・。

 しかし・・鮫洲の試験場が建て替えられるのが残念で成りませんな・・。

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 恐らく老朽化という奴が原因なのでしょうが・・1960年代に建てられた様な建物が・・ことごとく姿を消して行くのは寂しい物が在ります。
 
  江戸時代・・明治時代・・大正時代の建物は、僅かでは在りますが保存運動やら移築が行われていますが・・あの中途半端に大きくて・・・デザイン性も乏しく、実用性も無い・・高度経済成長の残滓と云われる様な迷建築が・・日本の建築史から抹殺されるのは忍びない物が在りますな・・。
 住宅としては・・江戸東京建物園に、幾つか現存していますが、公共の建築としては皆無と成る時代も訪れる事でしょう。
 1967年生まれの自分としては・・自分の事の様に悲しい物が在りますな・・。
2011年03月27日  05時38分
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灯油略奪作戦!
CATEGORY : [特殊な場所]
 昨日のブログ「三つの骨壺」の文体やら改行やら変換が・・普段と違ったのには理由があるのです・・。
 
 実はあの日・・陶器屋さんで諸々仕入れをした後、その町の川ベリに佇む大正時代から続く・・古びた商人宿に逗留する事と成りました。
 1月のカラッ風が・・運河に沿って並んで居る、柳の枝をも縮み上がらせる様な・・嘗ての商人の街での事です。

 宿屋の主人に伺った、近所の銭湯で熱い湯を浴びてから、湯ざめしない距離の中華屋さんで、紹興酒の熱燗を二合流し込み・・、宿に戻って布団に潜り込んだ訳ですが・・。   その部屋は何故か・・・エアコンと云う物ではなく、石油ファンヒーターと云う暖房器具が設置されて居りました。
 木造の宿ですから、石油ストーブと云うのも・・防火上如何な物かと思いましたが・・この宿にしてみれば「火鉢」が在った時代に比べたら・・格段に安全性が高いのでしょう。
 兎も角、エアコンよりも・・暖まるのは石油ファンヒーターの方が早い訳ですから、コチラとしては有難い訳です。
 
 一寸休んで・・暫くしてから呑みに行こうと画策していたsasakittyですが、余程疲れていたのか・・・目が覚めたら夜中の1時30分・・。
 その時事件は起ったのです・・。

 要は、寒さで目が覚めた様な所もありますから、再び石油ファンヒーターの電源を入れて、室温を上げようと思った所・・・無情にも・・燃料の灯油が無い為・・「ピッピコピッピコ・・」電子音が、暗闇の冷め切った畳の8畳間に鳴り響くのです・・。
 「・・・・・・・・・」
朝食の7時迄・・・5時間半・・・酷寒の地でのサバイバルの始まりです。

 襦袢の上から浴衣を羽織っていましたが・・更に丹前を羽織って・・策を練ります。

どんな状況でも策を練るのが男です・・。

 宿の構造上・・灯油は1階の何処か厨房の側の「お勝手」の様な所か・・・、裏玄関の外・・。
 そんな所に、宿の皆さんが寝静まった時間・・灯油のタンクを抱えて徘徊するのも如何な物かと思います。

 しかも・・1階は、宿屋のプライベートエリアですから、幾ら緊急事態といえども非常識です・・。

 とは云え寒い・・。

今、この室内で熱を発する物は、1000Wのドライヤーと沸騰ポットだけですが、ポットの蓋を開けて置くのも・・・ドライヤーを付けっぱなしにして置くのも、焼け石に水と申しますか・・。
 割れ鍋に閉じ蓋・・と申しますか・・南極でホッカイロぐらいに・・ノーパワーです。
 お湯をペットボトルに詰めて、ユタンポにすると云う策も考えましたが、室内に残っているのは、半分以上残って居る生酒の750ミリリットルのボトルだけです。
 中身を何処かに避難させられる訳でもなく・・その案も廃案と成ります。

と成れば・・最後の手段・・。

 資源が無ければ略奪するのが歴史的成る、世の習いです・・。
 
 空き部屋の石油ファンヒーターから、タンクごと灯油を略奪する計画を実行する事と成りました。

 取り敢えず、便所に行く振りをし乍ら・・隣の部屋を覗いてみます。
同型のヒーターが在れば、実力行使で略奪です。
 生き延びる為には手段を選びません・・。

 そして恐る恐る・・襖を引くと・・・。
無情にも・・ヒーターは無く・・在るのは只・・エアコンと・・敷きっ放ちの布団が二組です。

 そして次の部屋も、空振り・・。
 
 これ以上進んで・・白骨死体とが出て来たら・・コレ又怖い物が在りますから・・略奪作戦も作戦の変更を余儀なくさせられます。
 
 そうこうして居る間に・・時間は夜中の3時・・。

 後、3時間もすれば・・宿屋の皆さんも起きるで在ろうと・・ココロで祈りつつ・・、冷えきったカラダを布団の中に入り、毛布を頭から被って羊の数を数えるのでした・・。
「マトンが一皿・・」「マトンが二皿・・」「マトンが・・・・・・」

 そして又、寒さで目が覚めた頃・・遂にココロの中の「マトン」も品切れと成り、時間潰す為に書いていたのが昨日のブログと云う訳だったのです。
 
 いやはや・・・
 まるで「つげ義春」の貧乏旅行の様な話しですが・・・21世紀にこの様な展開が待ち受けて居るとは人生は侮れません。
 木賃宿で木賃が払えない訳では無いのですが・・・。

文化的な恩恵を享受し過ぎて居たと云う事に対して・・反省しています。

 ト云う訳で、本日の画像は・・大正の頃建てられた宿屋さんの障子越しの美しい光。

 このバウンスした独特の明かりの美しさは、日本人にしか理解し得ない物なのかもしれませんな・・。
2011年01月31日  08時25分
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永青文庫
CATEGORY : [特殊な場所]
 40年ぐらい東京に住んでいる計算と成る訳ですが、東京の中でもまだまだ行った事の無い場所と言う所は有ります。
 商売柄、古い建築物や・・一般では入れない様な所も立ち入らせて貰って居る訳ですが、昨日伺った目白台の永青文庫も中々素敵な佇まいの場所でした。

 昭和の初期に、細川家の事務所として建てられた建築の様ですが、今では美術館として一般に公開されています。

 16代当主の細川護立さんのコレクションが中心に、収集管理されて居る様です。
 
 様々な蔵書等も、書棚に有りましたが、今の時代と違って海を渡ってアジアの端っこに辿り着いたヨーロッパを始めとする海外の初版本にはやや驚きますな。
 現代と違って、世界の歴史や文化の情報が手に入りにくい時代だった訳ですから、情報を手に入れると言う事が・・既に限られた階層のみに与えられた特権だったのカモ知れませんな。

 そう考えたら、今の時代の特権なんて薄っぺらい物ですな・・。

「庶民の口には入らない・・」とか云いますが、無理すれば食べられる時代な訳ですから・・まだまだ格差なんて言っていたら、先人達からは怒られます。
2010年11月29日  13時55分
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32年と云う年月
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 プロ野球のセントラルリーグは、今シーズンの夏休みの企画として、各球団がかつて着用していた、懐かしいデザインのユニフォームを着用して、公式戦を行うと言う、 ファンに取っては誠に楽しみな企画を打ち出しています。

 グッズの販売と言う算盤勘定も在るでしょうが、リーグ全体でのファンサービスへの取り組みは評価に値する事でしよう。
 
 昨日も横浜スタジアムの緑のフィールドに散らばった32年前のユニフォームには、何とも言えない懐かしさが在りました。
 袖には今は亡きTAIYOの文字が縫い込まれていますが、大洋がベイスターズに成ってから既に17年経っていますから・・・当時10歳だった少年ファンでも既に27歳に成って居る訳です。
 古いファンには、永遠に耳から離れない曲・・・・コロンビアレコードが誇る最後の昭和歌謡歌手・三鷹淳先生作曲の「行くぞ大洋」なんかは歌える筈も在りません・・。
 
 僕が初めて横浜スタジアムに行ったのは1978年の4月4日ですから、器とユニフォームは同じでも行われて居る興行は,天と地との差がありました。

 当時はスコアーボードこそ、後楽園球場と並ぶ、悲願の電光掲示式に成りましたが、選手が打席に入る度の紹介の映像なんかは流れませんし、スタジアムDJも居なければ・・・チアリーダーも居ません。
 トランペットの応援も、まだ確立されて居ない状況でしたから、酔っ払いのヤジがピッチャーマウンド迄届いて居た時代です。

 今の選手は皆さん,1980年近辺の生まれ位な時代ですから、現在の興行の形態しか知らないのも当然です。
 再下位にも拘らず、2万4千人の観客の前で試合が出来ると云う事に、「有り難い」と思わなければバチが当たります。
 
 営業部と云うセクションが、前売り券と少々のグッズさえ売って居れば良かった時代とうって変って・・・、様々な企業とコラボレーションをして、チームをブランドとしてビジネスに結び付けて行く事との違いが、川崎球場に居た時代と大きく変わった事なのかも知れません。
 親会社の道楽で運営されて居る赤字会社とは、大きく違います。

 それにしても昨晩のベイスターズも不甲斐ないですな・・・。

 プロが全力でやって居るのだから、あれがチームとしての力量なのでしょうが「勝てない集団」と言う現場の雰囲気が、何となく感じられて仕舞います。

 我々の「撮影」と言う世界も同じですが「予定を消化する」と云う為に集まって居る集団と、「面白い物を造って居るんだ」と思って居る集団とでは、現場の空気はまるで違います。

 1977年頃の大洋は「オーナーの期待に添う為に頑張ろう」と云う空気が在った様です。
 当時の大洋球団のオーナーは,大洋漁業の社長・中部兼吉さんと云う方で、シーズンが始まる前に急逝したと云う事情が在りました。
 
 親族経営に抵抗の在る人の方が多いいのが,今の社会では当然カト思いますが、オーナーと云うポジションは、やはり名士か資産家と云うのが理想ですな・・・。
 雇われオーナーや出向オーナーじゃ・・・・なんだか夢や愛情の薄い・・・寂しい物を感じますな。

 ト云う訳で,本日の画像は打ち合わせの後に通り掛った、嘗て大洋ホエールズの練習場の在った、川崎市の等々力公園付近です。

  この看板も33年以上前に建てられた物で、近付いて良く観ると「大洋球団等々力グランド」とうっすら書かれています。


 この坂を下った所に当時は合宿所が在りました。
合宿の大きな風呂場には、人魚をあしらったタイル絵が描かれて居り、その風呂場で転んだ為に,ジャイアント馬場こと馬場正平選手はプロレスラーに転向したそうです。

 風呂場の横には小さなブルペンが在り、合宿の棟に隣接してコレ又小さな体育館が在りました。
 そのチッポケな体育館で,平松政司投手のカミソリシュートは生まれたと言い伝えられています。

カラー部分が1974年の航空写真による合宿所の全容。

敷地の隣の町工場群は,未だ健在で操業を続けていました。

 
 川崎市には,是非とも記念碑の一つでも建立して頂きたい物ですな・・・。
2010年08月19日  06時30分
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永仁の壷事件
CATEGORY : [未選択]
以下、引用です
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 大正12(1923)年、10年程前に発見されていた、永仁2(1294)年製と銘打たれた日本の古陶磁の中で最古の2つの瓶子が、小山富士夫文部技官によって重要美術品として提案される。
 小山が永仁銘瓶子を真作であるとする根拠は、瓶子の発見者であり小山に永仁銘瓶子を引き合わせた陶芸家加藤唐九郎が窯跡から発掘した大量の陶片と、永仁銘瓶子の素材の質の一致であった。
 しかし、国宝保存会議は銘文の記し方などに疑問を持ち、重美指定を否決した。昭和34(1959)年、美術品の海外流出が顕著となっていた時代背景の中、2つの永仁銘瓶子のうち1つの所在が不明となったことを知った小山は、もう1つの永仁銘瓶子の海外流出を懸念して重要文化財の指定を推奨し、永仁銘瓶子は重要文化財に指定された。
 同年行われた展覧会への重文としての出品が、永仁銘瓶子の疑惑を再び加熱させた。疑う理由は、銘文の不自然さ、形態、重量の不自然さなど数多く上げられた。この瓶子が発見された愛知県の地元研究グループが調査を行い、その結果、小山が根拠とする陶片の真贋も含め、加藤唐九郎に対する贋作疑惑が強まった。
 昭和35(1960)年、加藤唐九郎の長男が贋作制作に携わっていたことを暴露し、次いでパリにいた唐九郎も永仁銘瓶子は自らの手による贋作であることを告白した。昭和 36(1961)年3月、永仁銘瓶子の重要文化財指定が取り消された。
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 その関係者の一人に、窯業の技術研究を生業として居た、私の爺様●●壽男氏(検索用に匿名)も居たらしく、何個か製作した物の一つを頂戴したそうです。

 別に、壷を古物商に売って,一儲けしようと思った訳でも無いそうですから、作品と言う物は何時の時代のどんな物でも一人歩きして仕舞う物なのでしょう・・・。

 その爺様も、喧嘩っ早かったらしく、窯業を基軸に「耐火煉瓦」「碍子」「ガラス」等の技術開発で大正・昭和の産業の発展に「技術屋」として、尽力しつつも放蕩の限りを尽くし・・・行方知れずに成る事屢々(しばしば)・・・子供達の就職の為に、夫婦は籍を抜き・・・事実婚と言う、実に奇妙な境遇だったそうです。
 大正〜戦前なんて、そんなドラマが一杯在ったのでしょうな・・・。 

 ト云う訳で、本日の画像は・・・

 私の祖母・タマエさんが、愛知県の知立駅前で営んでいた「玉夕」と言う飲み屋の燐寸・・・。

 カレコレ40年位前に製造された物ですが、親戚の家では未だに実戦配備されていました・・・。

 ライターなら使い物には成りませんが、マッチは丈夫なんですな・・・。

何とも言えない気持ちです・・。


 因に二つの家紋の意匠は・・・。

「丸に鷹の羽」は母方の実家の紋ですが「違い鷹の羽」に成っています。
そしてもう片方が・・・
 偶然だか、佐々木の分家に多いい「丸四つ目」と言う紋です。

 娘の嫁ぎ先の事を気にして造ったとはとても思えませんから、何かの偶然かと思いますが、奇怪な物です。
2010年08月16日  06時41分
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高田酒店
CATEGORY : [特殊な場所]
 資料の写真を探して昔のアルバムを開いて驚いた事が在ります。
もうカレコレ20年以上昔の写真ですから、結構色褪せ始めたりして居るのです。
 デジタルカメラの映像ばかり見ていますから、フィルム独特の感じが良い訳なのですが「必要な画像はデジタイズする様にしよう!!」と心に誓って、フィルムスキャナーなんて物を買ってみました。
 ネガ・フィルムをデジタルデーターに変換する機材なのですが、昔物凄く高価だった物が、今では1萬数千円で買えたりするから驚きです。

 ネガ自体も、色がおかしく成って居る物も在りますから、正確には全てのデーターの色補正をしなければ使い物には成らない訳ですが、資料レベルでは別に厳密な調整は必要ないとの判断から、ガンガン取り込んでいます。

 そんな中から御気に入りの一枚をご紹介致しましょう。
1990年頃、横須賀の汐入と言う場所に在った高田酒店さんです。

 戦前から在る建物なのでしょうが、典型的な港の外れの縄暖簾の酒場です。
一階奥と、二階が住居に成って居る、標準的な住付き店舗と云う様式で、奥の部屋に至っては、生活感満載の様相を呈して居ります。
 今、こんな暮らしをして居る人は皆無と云っても良いでしょうが、嘗ては標準的な店の作りでも在りました。
 その位、昔の時代はプライベートなんて言葉は在りませんでしたから、夜中に薬局に行って、薬を分けて貰うなんて事は、ザラに行われていた訳です。

 店内は勿論、夕暮れ時から近所の旦那集が、大相撲を眺め乍ら一杯やると云った風情の、由緒正しき隣近所の酒場です。

 スーツの客なんか当然きませんし・・・1990年当時は、酒場を有り難がって巡礼する人も礼参する人も居ませんでした。
 商売柄、古い建築と生活様式の資料収集の為に、写真を撮り歩いていたsasakitty青年は、当然ココイラの旦那集達と世間話をし乍ら、薄切りした大根の漬け物をつまみにサワーなんか飲んでいた訳です。
 20年前でも未だ、クーラーも無く・・ハエ取りリボンのぶら下がるカウンターの下で、団扇で扇ぎ乍ら、40年以上も代り映えのしない面子で繰り広げられる、目新しく無い話題が、中々耳に心地よかった記憶が在ります。
 
 昔の日本映画なんかでは、此のぐらいの密度の飾り方のセットが良く在りましたが、今時の細かくカットを割る撮影手法だと、いちいち飾りを退けたり移動したりが大変なので、実際の所・・・撮影効率を考えると使いコナセナイ場合の方が多い訳です。


 翌年に伺った際の画像では、台風で入り口の看板がぶっ飛んだそうでした・・・。

今でも在れば伺いたい所ですが、
 此の建物も、酒場自体も現存していません。
残念な事ですな・・・。

2010年06月12日  15時26分
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謎の宿
CATEGORY : [特殊な場所]
 例えば・・・・。
自分が、都会や世間と云うしがらみを忘れて、山奥の民宿にぶらりと出掛け・・・、その辺鄙(へんぴ)な地方の人との温もりに触れて、癒される・・・。
 そんな幻想を抱いて旅に来て居る人に対して、受け入れる側の9割が東京などの都市部在住で・・・尚且つ、堅気(かたぎ)では無かったら・・・。
 旅行者にとっては裏切られた気持ちに成るに違いないでしょう。

 僕も以前、能登半島の鄙(ひな)びた温泉に、知人と訪れた事が在りましたが、その宿は鄙びて居るどころか「鄙びた感・・」と云う、日本人が何所か郷愁を求める所を売りにして、一財を成し・・鄙びた宿の裏手に在る屋根付きの車庫にフェラーリを隠匿して居る有様でした・・・。
 サービスを提供する側なんて、実際そんな物なのでしよう・・。
平成の時代に「つげ義春」の漫画に出て来る様な旅なんかは、ナカナカ出来る筈も在りません。

 と言う訳で、前置きに書かれて居る「カタギでは無い」人々の宿の従業員を1日やって参りました。

 本当は、手伝う予定は無かったのですが、馴染みのメンバーが揃っていたので、一宿二飯一晩酌の働きを手伝わせて頂きました。
 
 メンバーは、その宿を運営して居らっしゃる、某劇団のウルサガタ役者・・・そしてもう一人は、関西の某劇団の作・演出を務める座長さんで関西演劇業界の重鎮・・・・・そして三人目は某大手広告制作会社の管理職・・・・そして謎の着物の男sasakitty・・・・と云う、普段余り山間部に適応して居られない皆さんな訳です。

 とても「この村から出た事が無い・・」とか「東京には5年前にしか行った事が無い・・」とかそんな純朴なセリフの出なさそうな面々です。

 それでもまあ・・・連休のレジャーでお越しに成って居る皆様の夢を壊しては行けませんから、それなりに「純粋に仕事を楽しんで居る」と云う感じが伝わる様に努めます。
 
 当然皆さん40過ぎの大人が、気分転換に配膳やら接客やら皿洗いをして居ますから、そこら辺の嫌々手伝わされて居るバイト君とは笑顔の「質」が違います。

 一緒にやらせて頂いて居て、仕事の飲み込みの速さと、かなり熟練して居るかの様な連携プレーに感心させられる訳です・・・。
 さすがは普段 人の上に立つ人達は人からの指示なんか待ちゃしませんから・・・史上最悪のイラチ(せっかち)集団でもある訳です。

 僕なんかは厨房のバイトとかをした事が在りませんから、やり馴れない仕事は何をやっても楽しいのですが、若い時代にトラウマと成って居る人は、絶対に嫌がる作業なのでしよう。
 本当は群馬県の伊勢崎で、機屋(はたや)の旦那衆と一緒に着流しで博打(オートレース!!)をする積もりでしたから、sasakittyは着物しか持って来ていませんでした。
 この極悪な人相でTシャツにエプロンなんか着た日には、お客さんがボラれるんじゃないかと心配に成りますから、町まで戻って藍染めの前掛けを買って来ました。
 宝船の描かれて居るスタンダードな物と、誰が何の為に作ったか解らない不動明王の描かれて居る物と、二種類在りましたが、取り敢えず安全な方を選んだのは言う迄も在りません・・・。
 
 車に積んであった、細い麻縄でタスキを作って戦闘準備完了です。
最初に和装で現れた僕のツラを拝んだ二人の川原者は「お正月の人が来たで〜」と人の事を嘲笑って置き乍ら、今度は仕事する気満々のスタイルに成って居るにも拘らず「でかい丁稚(でっち)やな〜」と、畳み掛ける様に厭味を連発して来ます。
 
 こんな事で めげて居ては、この獣達の中では生き残る事はで着ません・・・。こう云った場合でも、仕事が出来ない奴は、せめて「形(katachi)」から入らないと御客様に対して失礼な訳です・・・。職人の基本姿勢でもあります。

 そんな塩梅で、狸やら狐やら熊やらは・・・人間にバレる事無く民宿の従業員に成り棲まし、お客さんの居なく成ったロビーで、コレ又都会から来た「法律の番人」と酒盛りをして居たと云うお話でした・・・・・。

 目出度し目出度し。



 画像は、謎の民宿に行く道中に立ち寄った別の宿に掛けられていた「大勲位」揮毫に因る書。

 「人生に意気を感じる・・」

           仰る通りかも知れませんな・・・。
2010年05月04日  04時27分
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子供への影響力
CATEGORY : [未選択]
昨晩、事務所に戻りメールをチェックしていた所、一昨日の「大日本プロレス後楽園大会」に息子さん達と来て呉れたディレクターの方から、選手達と撮影なさった画像を頂きました。
 子供の肖像ですので御覧頂けませんが、あんなに目がキラキラして興奮している表情を観るのも久方ぶりな素晴らしい写真でした。
 美術を通じてエンターティメントの仕事に携わっていますが、矢張り楽しんで頂けたお客さんの顔を見るのが何よりも代え難い酒の肴な訳で、本当に嬉しい瞬間でもあります。
 テレビという媒体では、なかなかお客さんの顔が見えませんが、芝居や興行やライブなんかの仕事に携わると、拍手を頂いた事の有り難みは堪らない物があります。
 裏方でもそう感じる訳ですから、役者や選手や演奏家はヤメられない訳です。

 そんなsasakittyが初めてライブの興行に連れて行ってもらったのは、10歳の時でした。
 以前にも書きましたが、父の飲み仲間の大手ゴム製品メーカーの跡取り息子さん(当時)達に御招待して頂き、川崎球場に大洋ホエールズの試合を見に連れて行って頂いた事が切っ掛けでした。 
 天気の良い祭日のデーゲームだったせいも在るのでしょうが、未だに・・ナイターよりもデーゲームにビールを飲み乍らグランドを眺めている一時が、とても幸福に感じるのです。

 その時もう一つ巡り会った物が、このキャラクターです。







 正式名称がなんと言うのか知りませんが、1976年頃から採用されたWHALESのペットマークです。

 当時、ホームランを量産しスタープレーヤーとして頭角を現し始めた田代富雄選手を意識したデザインです。

 1977年頃と言えば、SANRIOさんでもパティー&ジミーのシリーズが人気を博していましたから、大洋球団が真似したのか・・・ハタマタ大洋球団が正式にSANRIOさんにデザインを依頼したのかは、30年以上を経過した現在では知る術も在りません。



 因にコチラがパティー&ジミーです・・・。





 ジミーの方が、アフロっぽい髪型ですから当時の田代選手に似て居るのですが、田代選手が一軍に昇格したのが1976年で、パティー&ジミーが商品開発されたのが1974年・・・でも田代選手が入団したのは1963年ですから、更に微妙です。
  
 何れにしても、当時の他の球団のキャラクターの中で、格段に可愛く垢抜けていたのが、微妙な立ち位置の大洋だったのです。



 1977年当時のユニフォームの袖のマークが「丸は」マークから件のペットマークに変更された事が在りました。
 当時は単純にリニューアルと受け止めていましたが、球団の株式を45%も西武(国土計画)に買われた為に「丸は」マークを外した、大人の事情が会った事もつい最近知りました。
 

 と言う訳で、KITTYが好きなのもWHALESが好きなのも、オレンジ色が好きなのも、全て野球場に連れてってて呉れたお兄さん(当時)が切っ掛けですから、大人が子供達の人生を変えて仕舞うという事は、たった一日、一回だけの事でも起こりうる事なのです。
 
 子供達や社会に与える影響を、大人達は常に忘れては行けませんな・・・・。

 追記
 昭和52年当時・・・跡取り息子のお兄さん達は若手社員としてバリバリやっていた時代でしたが、上のお兄さんは現在社長と成り、大人なら誰でも知って居る有名なメーカーを牽引され、弟さんは取締役として、お兄様をサポートしていた様ですが、数年前に他界されたと云う事を、先程ネットで調べて居て知りました。 
 未だ働き盛りだと云うのに、本当に残念な限りです。
   お会いして、お礼が言えなかった事が今更乍ら悔やまれます。
2010年03月21日  06時48分
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宗吾霊堂
CATEGORY : [特殊な場所]
 所用で千葉県の佐原方面に出掛けたついで、折角だから一泊しようと寒風吹荒ぶ房総の古い町並みやら古刹を巡って来た週末です。
 町が寂れて行くのには事情が在り、寂れた町が更なる観光資源として生まれ変わって行く姿も、一旅行者として興味深い所でもあります。

 何度か千葉は旅していますが、まだまだ行った事の無い場所は山ほど在ります・・・・。
最近話題に成って居る,千葉県警の不正経理問題なんて事が在りましたが、千葉県は割とその手の癒着や談合とかにはルーズな土地柄と云う印象が、ハマコーさんの時代の前から在ったみたいです・・・。
 ハマコーさんとは一度もお会いした事が在りませんから、良い人か悪い奴かは存じませんが、ネットで知る限りでは,数々の利益を千葉県に誘導した訳ですから,千葉県民的には功労者なのかもしれません。 

 トコロは千葉県の佐倉藩・・・・1651年頃(慶安4年)三年続いた飢饉と理不尽な迄もの年貢の取り立てにより、百姓達は一触即発の事態を迎えた時代の御話で御座居ます・・・。

 当時の藩主は若干21歳の堀田正信公と仰る方でしたが、正信公が江戸に行き多忙を極めている隙に、家老共が色々と悪事を働いていたそうなんです・・・。
 その悪政に怒った佐倉惣五郎(後に佐倉宗吾・・・以下、宗吾様)は、幕府の家老や役人に訴えたにも拘らず,ことごとく訴えは退けられ、宗吾様の村人を想う気持ちは遂に・・・・、家族とも絶縁をして、将軍様に直訴すると云う行動に出て仕舞った訳です。
 将軍に直訴と云えば、当時の法で当人は磔で血縁者は打首の刑だった様ですから、360年前と現在との感覚の違いは良く解りますな。

 意を決した宗吾様は1653年上野の寛永寺で将軍家綱様に直訴の訴状を渡した訳です。
直訴は功を奏し、藩の百姓に対する仕打ちは改善された様でしたが、宗吾様は磔の上処刑され,幼い子供等四人は打首に合い、妻は尼に成ったそうです・・・。
 360年前の隣の千葉の話しですよ・・・・。

 命を賭して村人達を救った、宗吾様の御遺徳を偲び佐倉の人々は今もなお、宗吾様をおまつりして居るそうです。 

 なんだか歴史の時間の様ですが、講談や歌舞伎向きのストーリーでも在り、更には宗吾様の祟りで、堀田家に災いが降り掛かったと云うスペシャルな後日談迄在るそうです。

 宗吾霊堂の境内に在る、霊宝殿にはなんと・・・新東宝で製作された「怨霊佐倉大騒動」と云う・・昭和30年代の如何にも新東宝っぽいタイトルの16ミリプリントが奉納されていましたから、何か因縁を感じます・・・。
 さすが大蔵貢(新東宝の当時の社長さん)目の付けドコロが違いますな・・・。 

 と言う訳で・・画像は宗吾霊堂のレトロなお土産物屋の並ぶ参道です。
宗吾霊堂へは京成本線の宗吾参道駅からが便利な様です。
 あと・・・特にお勧めは,昭和チックな書き割り満載の本堂裏手の「宗吾一代記念館」です。
 この記念館も,可成りの老朽化が進んでいますから、乃村工藝社が確立したパノラマ展示の技術の流れを汲む、現存する数少な展示様式ですから,ディスプレーを勉強する学生さんは、要チェックです。 
 
 直訴と云う手段で有名なのは,後に足尾鉱毒事件の田中正造さんなんかが有名ですが、民主主義の現代では、直訴する相手が有権者ですから、気の遠く成る話しですな。
2010年02月07日  20時08分
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日活国際ホテルの皿
CATEGORY : [秘蔵の品々]
 東京の日比谷の ザ・ペニンシュラ東京の建って居る場所に、嘗て日活国際会館と云うホテルとオフィスビルを兼ねた建物が建って居たそうです。
 昭和27年に完成した此のビルで、石原裕次郎さんも小林旭さんも結婚式を挙げたと云う、当時としては可成り洗練されたビルの様でした。
 僕が日比谷界隈で仕事をして居た時には、既に中途半端に古いビルと云う印象は否めなく、1階に入っていたアメリカンドラッグストアーなんかが、妙に60年代な雰囲気を醸し出していたのが印象的でした。
 日活国際ホテルのエピソードとして有名な話しは、当時の料理長の馬場久さんと云う方が、東京オリンピックの選手村の料理長をなさっていたそうです。

昭和45年頃に短い栄華を極めた日活国際会館は、某オッチャンの会社「三菱地所」に70億円で売却された訳ですが、当時の70億円って・・・現代で言えば4〜5倍らしいですから、トンデモナイ金額ですな。

 ト言う訳で、連日「日活」さんにまつわる懐かしい物を紹介致しましたが、最後はコチラで御座います。

 日活国際会館で使用されていたお皿です。
40年位使われて居なかった物かと思われますが・・本日は悠久の時代を超えまして、パスタなんかを盛りつけてみました。

 いや・・・パスタではなく「スパゲッティ」ですね。

皿の製造元は・・あの世界のブランドNORITAKEで御座居ます。
2009年12月21日  08時47分
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大道具さんの道具袋
CATEGORY : [特殊な場所]
 大工さんと同様、大道具さんも大工さんの流れを汲んでいますから、同じく道具袋と云う物を使います。
 昔は、金物屋さんやら材木屋さんの名前なんかが入った物も使われて居ましたが、昔の日活の大道具さんの物はイカしたオリジナルデザインの物です。

 白い帆布に黒と赤のラインがいかにも日活映画な感じを物語っています。

今だに旧日活OBの大道具さんなんかも使って居るのを見掛けますが、嘗ての映画産業華やかなりし時代が偲ばれますな。
2009年12月19日  05時40分
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堀久作
CATEGORY : [特殊な場所]
作業場の片隅に佇むかつての経営者のレリーフ
 


 堀久作さんは、日活と云う映画を語る上では不可欠な人物で、1960年代の日活の黄金時代から没落して行く1971年迄の波乱の時代に社長を勤めていらした方です。
 江の島水族館やホテル、不動産業の事業展開でも手腕を発揮もしましたが、ワンマン体勢でも有名な方だったらしく、一番有名なエピソードとしては、今日に伝えられる鈴木清順監督の名作「殺しの烙印」を「わからない映画を作ってもらっては困る」と名指しで非難して清順さんを契約解除に追い込んだ社長さんです。

 そんな、一時代を築いた人物のレリーフが、大道具の作業場の傍らに・・誰にも気に掛けられる事無く放置されています。
 
 栄枯盛衰を感じますな・・・。
2009年12月17日  14時42分
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お役所仕事
CATEGORY : [特殊な場所]
真ん中から管轄が違うそうです…




2009年06月17日  11時34分
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キトラ古墳
CATEGORY : [特殊な場所]
 カレコレ15年以上に亘って実施されて居る、2月10〜11日のsasakittyの関西巡礼ツアー・・。 
 要は、橿原神宮に建国記念を祝い、国家の安寧に感謝の意を込めて参拝を続けている訳ですが、今年も濃厚な旅と成りました・・。

 今年は、主に新しく知り合いに成った関西の現代美術系のお友達と、ミナミでイロイロとお話ししたり・・・、串カツ食べたり・・・きずし食べたり・・・ドテ食べたり・・・粕汁飲んだり・・・センマイ食べたり・・・味園泊まったりと・・・、次の関西仕事のリサーチしたり、空いた時間で次の仕事の参考試写したり・・。又、例によって遊んでるんだか働いてるのか解らない時間を堪能させて頂いた訳です・・。

 そして、散々飲んだ翌日は・・阿倍野橋から橿原神宮前駅迄向う訳ですが、コレ又毎年大体同じコースなので、千日前の竜田屋さんで朝飯を喰い・・・タクシーに乗って駅に向い・・・特急に乗って橿原の駅で降りて・・橿原観光ホテルで紅茶を啜り、拝礼に臨む訳です・・。
 
 祭式自体は明治のアタマ頃からやって居り、130年以上行っている訳ですから毎年同じ式次第で、厳粛にとり行われて居ります。
 詰まらないと思う人も多々居ると思いますが、15年以上参列して居ると、毎年僅か乍ら色々なリニューアルが在る訳です・・。
 神道と云う物は、伝統を重んじ乍らもしっかり改善も怠らない宗教なのでしょう・・。

宮司様が変わると、最後の〆のスピーチが結構変わります。
 宮司様と云えども人の子ですから、大人しい方もいらっしゃれば・・やや過激な方もいらっしゃったりします・・。

 あと、代表で拝礼為さる人々の、メンツが変わったりとかします。例えば・・・「今年は高市早苗先生が落選したから来てないな・・・」とか、余計な心配が沢山在る訳です。
 
 会場のパイプ椅子が新しく成ったり・・・防寒対策で廻廊にビニールシートが貼られたり・・・ストーブが置かれたり・・はたまたそれらが撤収されたり・・場内の大型テレビモニターが液晶テレビに変わったり・・・尺八の伴奏をなさる登山流宗家の若い家元がややお年を召し始めたり・・・。たった15年の間にも、様々な栄枯盛衰が在る訳です。
 
 そんな年中行事も定刻通り12時30分に終わると、今年は高校生時代の美術部の仲間と突然橿原神宮の駅前で待ち合わせる事と成りました。

 申し訳在りませんが、 何でも突然のsasakittyです・・。

 3年前に、東京から奈良に移住したそうなのですが、今では何故か日本で一番バブリーな人口6.010人の明日香村の村民に成って居るそうなのです・・・。
 
 ファミレスとかで、世間話でもして別れようカト思ったら・・・村の中を案内して呉れると云う展開と成り・・突然、飛鳥観光ツアーと成って仕舞いました・・。

 普通はレンタサイクルとか借りて、一日掛けて散策するのでしょうが、こちらは何故か八王子ナンバーのルノーです・・。
 
 あちらこちら見て回るかと云う話も在りましたが、全部観ると来年から来る楽しみが無く成るので、取り敢えず石舞台に向います・・。
 歴史の教科書では何遍も見た事は在りますが、実物を見るのは初めてです。

昭和27年に史跡として登録された様ですが、よくよく観ると石と石の接合部分がモルタルで補強されています・・。
 
 周囲の景観も、飛鳥の時代と云うよりも・・16世紀頃(?)にでも造られた田んぼの形状が色濃く主張して居る為、古墳と連想付けるには可成りの想像力を要します・・・。
 
 発掘した時点で盗掘されていた様ですから、1800年間の年月の間には、さぞ色々な事も在ったでしょう・・。
 当然中に人が棲んでいた時代も在れば、石室の中で様々な人の営みが行なわれて居た事も容易に想像出来ます。
 何でも公園にすれば良い物では在りませんな・・・。
 
 その次ぎに伺ったのは、日本最古の寺と言われて居ります、飛鳥寺跡です。
日本最古と云われる飛鳥大仏で有名ですが、コレ又二度の火災に因る消失を辛うじて免れた補修の跡が生々しいと云う印象を持ちました。

 そして、古墳とは関係なく、村の面白い所を数カ所観に行きましたが、最後に行ったのがあの有名なキトラ古墳です・・。

 世界最古の天体図と歴史的に非常に価値の高い壁画が発見された事で有名ですが、強引な調査法によって壁画と古墳内をカビだらけのズタズタにしてしまった事でも有名な所です。
 
 そんなキトラ古墳ですが、アルタミラ洞窟みたいに見学出来る様に成って居るのかと思いきや・・・な、なんとその姿は・・。
 絶命間際のひん死の状態・・・・集中治療室さながらな姿を露呈して居りました・・。



 これが我が国の文化財保護の現状なのでしょう・・。

後世に残る大失敗を隠蔽する為に、莫大な予算を使い続けるのでしょう・・。

 役人と大学の先生の考える事は解りませんな・・。

 7世紀頃の古墳を21世紀に覗き見してたら、墓穴を掘って仕舞ったなんて、落語みたいな話でした。




2009年02月11日  21時57分
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J.H.モーガン
CATEGORY : [特殊な場所]
 連日ロケハンに招集されるsasakitty・・・

本日の獲物は・・・無国籍な廃墟・・・。

 中々妙なオーダーですが、制作部さんが見つけて来たのは藤沢のとある物件です・・・。

 一応、神奈川県出身で建築史を多少勉強して参りましたsasakitty も、本日の物件は本当にノーマークでした。
 
 大正・昭和の日本の近代建築史の中で、数多くの名建築を残しているJ.H.モーガンと云う建築家の家が、藤沢に現存していた事を、僕は知りませんでした・・・。
 
 主に、横浜を中心に活躍をした建築家ですが、僕の中での代表作はなんと言っても根岸の競馬場のスタンドです・・・。
 
 重厚さと品の在る感じのバランスが、絶妙な作品を生み続けた建築家です・・。



 そんな名建築を生み出し続けたモーガンが暮らしていた家ですが、主人亡き後は様々な人の手に渡り、最後に手に入れた男があの・・悪名高き横井英樹氏だったそうなのです・・。

 そして横井英樹の莫大な債券を処理する為に、債権回収機構の管理下に置かれ、宅地として分譲されようとして居たてのですから、本当に不動産屋と云う人達は「文化財と云う物に興味の無い人達なんだ・・・」とつくづく感じます。
 そして、そんな瀬戸際のモーガン邸を保存しようと言った運動が、近隣の市民や現在の所有者であるナショナルトラストと云う財団法人によって行われている様なのです。

 そんな、モーガン邸ですが2007年の5月に、何者かに因る放火に因り消失して仕舞ったのでした・・・。
 火の気の無い家でだった様ですが、周囲からも容易に侵入出来る立地だった為か、白昼からの出火だった様です。
 全焼は免れた様でしたが、再び再建しようとしたそんな矢先・・・昨年(2008年)の1月2日午前5時35分頃、2度目の出火に見舞われた様でした。

 本当にとんでもない事ですが、あの家が燃えると嬉しい人が世の中には存在するのでしょう・・・。
 残念な限りです。

 今でこそ、保存の機運は高まっていますが、昭和の終わりの頃にはその価値を理解される事無く、只のアバラ屋とかお化け屋敷と思われていたのでしょう・・・。
 困った物ですな・・。


 因に現在、建物を管理して居る方から伺ったのですが、根岸の競馬場スタンド跡が保存も見学も出来ないのは、どうやら隣接する米軍施設のせいで有る様なのです・・。
 建物の老朽化に因る構造的な問題で立入り禁止にして居ると、以前市の方からは言われましたが、どうやら嘘だった様です。
 まだ、米国に因る我が国の占領は続いて居るのですな・・。
 



2009年02月09日  23時48分
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はだか先生
CATEGORY : [未選択]
 昨日は、歌うスタンダップコメディー寒空はだか先生の上級者向けライブと云う物を拝見させて頂きました・・・。
上級者向けと云うだけあって、客筋も厳選された「サムハダ」フリークのお客様である意味異様な雰囲気でした…。
なんでもそうなんでしょうが、お笑いのネタにも、ランクが在るらしく、今後 「決まり物」に昇格して行くであろう、新ネタをグダグダになりながら堪能させて頂きました・・。
 とても、所見のお客様には見せられないが・・・マニアだと物凄く笑えると言う・・・そう云った意味での上級者イベントと云う事なのでしょう・・。
 ライブ後も、S級の論客のお姉様と先生を囲んで一杯飲ませて頂きました。

 エンターティナーと云うよりも、求道者としての先生の姿を垣間見れた事に、喜びと感動を禁じ得ません・・。
 特殊な面白い人達に囲まれて本当に幸せな毎日です。
感謝!。

画像は、7月27日に開催される「 寒空はだかカラフルロスタイムショーVOL.11 with 遠藤賢司&清水宏」のチラシです・・。
詳細はコチラ・・・ 寒空はだか公式サイト
2008年07月15日  08時05分
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続 野毛 だるま寿司 
CATEGORY : [特殊な場所]
 幸か不幸か・・・。
計画的なのか・・偶然なのか・・。

 打ち合わせの後に・・、二日続けて横浜の野毛を散策しているsasakitty・・・。

 どうしても、だるま寿司の中が観たい!!!と云う衝動に駆られて、遂に昨日だるま寿司さんに潜入して参りました・・。

 本当に狭かった・・、

と云うよりも、外観と同じ大きさの店内でした・・。

 写真も撮れない位の「引きジリ」の無さ・・(カメラと被写体が近いと言う専門用語です)
 
しかし、そのコンパクトさが物凄く良い感じの店内です。

 日本文化に造詣の深い外国人さんなら「千利休の茶室に相通ずる日本文化のシンボル的存在で在る」と、絶賛する事でしょう・・・。

 と言う訳で、写真が無いなら絵を描くのが美術監督です・・。

 大サービスの俯瞰図です・・。
セコい男なので、本来はギャラを貰わないと絵は疎か、一本も線を引かないのですが、感動の余り図解致します・・。

 酒も入っていた為、当然記憶で書いて居ますから・・、3割位間違っていますがご容赦下さいませ・・。


 
 この建物が出来る前は、別の場所でご商売をなさっていた様ですが、区画整理やらなんやらで、偶然にも昭和42年にこの場所に移って来たそうです・・。
 そうです・・・昭和42年と云えばsasakittyと同じ年です・・。香山リカちゃんもウルトラセブンも同じ年です・・。
 そんな昭和42年から、数える事40年の歳月を経ている訳ですが、大家さんが建てて呉れた建物と申しますのも、当時の時代を反映してか、小型の勉強部屋・・・つまりプレハブの勉強部屋をベースにして居る訳であります・・。

 成る程・・・、プレハブの勉強部屋なら此の広さは頷けます・・。
しかし勉強部屋の寿司屋さんなんて勿論、神奈川県内でここだけでしょう・・。
 いや・・世界中で此の店だけかも知れません。
プレハブ酒場と云うのは東京の恵比寿に現存しますが・・、だるま寿司さんとは些か趣が違います。

 sasakittyが入った時は、常連さんと云うよりも・・友達の様な方が仕込み中から上がりを啜って居り、まさに口開けと云う感じだった為、写真は愚かメモ一つ取れないと云う様な状況でしたが、予想通りの超ベテランのご主人の仕事ぶりに、昭和を感じさせられる訳です・・。
 此の手の店に行く時は、相変わらず幾らお客さんがいらしても、僕より年配の皆さんばかりです・・。
 6人位並べるカウンターは、1時間もしないうちに満席に成りますが、60代位の先輩達と話して居ると、だいたい話題は年金と社会保障の話に成ります・・。
 
 20年位前の昔の酒場の先輩は、再開発だの区画整理だの健康問題だの年金だの・・そんな詰んない話はしないで、昔現役だった頃のエロ話や、悪い事をした話なんかを嘘も交えて面白可笑しく話して居ましたが、最近の60代位の先輩の話の内容は、現実的でシリアスな物を感じます・・。
 これもまた時代の趨勢なのでしょうか・・。

そんな訳で、店内は至って普通のネタケースとツケ台(寿司を出すスロープ状の台)に直接寿司やツマミを出すスタイルです・・。店が小さいだけで、予想した通りにストロングスタイルを行って居ます・・。
 
 当然お座敷はありませんが、60センチ角位の黒デコラを貼られたテーブルが、壁に取り付けられており、丸椅子が4脚づつ配置されています・・。
 MAXで15人位は入れそうな勢いです・・。

そしてプレハブなので、天井が付いていません。
 つまり、屋根のパーツがいきなり天井ですから、更に茶室な感じが増強されます・・。
茶室な感じはいいのですが、夏は結構暑く成るそうです・・。
しかし、入り口側と、外に在るコレマタ仮設のトイレに出る引き戸を開けると、可成り風が通る構造なので、結構気持ち良く飲めそうな感じです。
 店のトイレが外に在ると云うのも、勉強部屋ならではと云えるでしょう・・。

あと、此の店の特徴としては、電話機が黒電話しか無いと云う事です・・。
 昔だったら、ピンク電話とか置く所なのでしょうが、こちらは黒電話です・・。
全く故障しないと自慢して居られましたが、ご主人自身も携帯電話は使い方が解らないと仰っていました・・。
 携帯とPCを捨てた時が、全てから解放された究極の自由を獲得した瞬間だと信じて居るsasakittyに取っては、まさに仙人の様な日々を送って居るご主人な訳です。

 肝心の寿司ですが、蝦蛄とコハダしか食べていませんがOKです。
ツマミのトリ貝と赤貝と鯵も良かったです・・。
 
 横浜の漁師さんは、最近東京湾の蝦蛄が減ったと嘆いて居るらしく、捕獲しない様にして居るそうです・・。
 皆さんサカナをツマミ乍ら潮流に付いて熱く語って居られました・・。 


2008年04月22日  08時07分
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だるま寿司
CATEGORY : [特殊な場所]
 以前から気には成っていましたが、私が知る限り現存する寿司店で、最小のお寿司屋さんです・・。



 周囲は全て再開発の為か・・コインパーキングに成っています・・。

横浜の桜木町の付近ですが、推定3.5坪・・。

 昨日は生憎営業していませんでしたが、近々調査したいと思います・・。

一体どんな構造に成って居るのか楽しみです・・。
2008年04月21日  00時02分
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野良犬
CATEGORY : [特殊な場所]
前にも書きましたが、大阪の街を散歩しているとこの手の看板が矢鱈と目に付きます。

立ち小便も、野良犬なら仕方が無いと言う事で、「あんたは野良犬以下だな・・」と可成り捻り過ぎな揶揄表現です・・。
 それにしても、犬のうんこもポロポロ落ちている土地柄です・・、野良犬や野良猫は殆ど居ないのですが・・。



2008年02月10日  17時29分
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訃報
CATEGORY : [未選択]
 人生なんて本当に計画通りには行かない物です・・・。
12月3日未明。
私の母、佐々木由美子が脳内出血に因り死亡致しました。
1937年生まれで在りますから、享年70歳で御座居ます。
 以前より、家系的に脳卒中が懸念されていただけに、対処し切れなかった事が悔やまれるばかりであります。  
 生前よりイサギの良い女でしたから、自分が老いて行く事や、ボケが始まる事に対しては、可成りの嫌悪感を持ち合わせて居りました・・。
 負い目を感じる事なく旅立てた事は、彼女にとって寧ろ良かった事なのかも知れません。

 僕も、一言も喋らない母の口に喰い物を突っ込んだり・・・、糞に塗れたケツの穴をウエットティツシュで拭かなくても済んだ訳ですから、感謝しなくては行けません。
 若い頃から美しい女だっただけに、そんな醜態を曝ける事は彼女のプライドが許さなかったのでしょう・・。
 今も、告別式に向けて 過去の写真をスキャニングして居りますが、昔から笑顔の素敵な女でした。
 
 親だからという甘えを好まない僕も、近年は母親と接する時間よりも、経理部門を司るビジネスパートナーとしてしか接して居なかった事は事実でした。
 今と成っては旅行一つ一緒に行けなかった訳ですから、親不孝といえば親不孝かも知れません・・。
 小学生の頃に、中学に上がったら息子達と3人で車で北海道に旅行しようと話して居ましたが、結局その夢も叶いませんでした。
 代わりに、僕みたいなオッサンなんかより可愛い孫と親戚の家等行って居た様ですから、北海道の件は帳消しにして貰って居る事でしょう・・・。
 
 母は僕に対しては、帳場としての様々な本音を露呈して居た為、優しいお母さんと言うよりも・・・ある種ドライな面で接する機会が印象に残っています・・。 
 会社の将来や家族の今後・・・果ては国家の行く末まで危惧して居られた憂国の女ですから、今頃空の上からケラケラ笑いながら舌なぞ出して居るやも知れません・・・。
 タバコを燻らせ乍ら、酒をこよなく愛する愉快な人でしたから、一緒に飲むのは楽しい時間でも在りました。
 お互い酒飲みですから、「もう一杯 飲んどけば良かったな・・」なんて事位しか、後悔して居る事は無いと思われます・・・。

 そんな案配で、あさって6日18時からが通夜に成ります・・・。
生前より、特定の宗教に囚われない精神世界の人なので、無宗教のお別れ会と云う事と成ります。
 楽しく明るい宴席が大好きだった母ですから、湿っぽく成らずに大いに飲みたいと思います・・。
 それが一番の供養ですから、ご協力御願い致します。
式場は、多摩霊園横の日華斎場と言う斎場ですので、母を肴に楽しい夜に成ればと思います。



 取り急ぎ「だいぜん」さんで献杯し乍ら呑みました・・・。
荼毘に付される迄は、まだまだ酒の匂いを求めて僕らの周りをうろついて居る筈ですから・・。
2007年12月05日  05時12分
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