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2024年04月27日  03時25分
タジマハル
CATEGORY : [特殊な場所]
 東京にも、米軍の基地は何カ所も在りますが、其の中でもひと際規模のデカイ基地と云えば、福生市に隣接する横田基地と云う基地です。
  山田詠美さんの小説の舞台に成った場所でもあり、多摩地区と云う場所であり乍らも、其の周辺だけはアメリカンナイズされた、英語の看板が多かった町です。
 今でも其の名残は在るのですが、湾岸戦争や9.11のテロ以降、アメリカの兵隊達もすっかり軍服を着て町を歩く事も無く成りました。
 
 僕が此の町に初めて訪れたのも、20年位前の遥か昔と成りますが、其の時あたりから、道路の拡張や、時代の移り変わりに因り随分と町の風情も変わり始めています。
 
 此の町が最も賑やかだった時代と云うのは、ベトナム戦争の時代だったらしく、不毛な戦いに向かうアメリカの青年達を、買い物や飲酒と云う行為に因って、慰めていたのが此の町の人々だった訳です。
 
 そんな横田基地前の商店が軒を連ねる通りには、数多くのカスタムテーラーが点在しています。
日本に限った事ではなく、タイや韓国なんかでも外人旅行者や軍関係社相手のテーラーは、貴重な外貨獲得手段だった訳です・・・。
 欧米に比べて人件費が安く、手先の器用なアジアの国々は、いつの時代も彼らに服を供給し続ける訳です。
 そんな数多くのテーラーの中に、sasakittyがシャツを発注して居るお店があります。

 1950年代後半に、インドネシアから遥々日本に来たナヌワニさんと云う青年が開いたタージマハールという洋服屋さんです・・。
 
 そもそもナヌワニさんが何故日本と云う国に興味を抱いたのかと云えば、少年の頃に隣に棲んで居たおじさんが、嘗て日本に行った事が在った様で、極東の島国の素晴らしさを、まだ幼いナヌワニ少年に教えてあげた事が切っ掛けでした。
 美しい瞳を輝かせ乍ら聞き入った、「日本に行って見たい!」と云う夢を、いつしか少年は叶えて仕舞う訳なのです・・。
 福岡を皮切りに、知り合いのテーラーで修行を続け、神戸や赤坂、横田と云った場所で商売を拡大して行った訳です。
 70年代のピーク時には、六本木にも出店していた様ですから、インドネシアから来た少年は、マルコポーロも見つける事の出来なかった黄金を、手に入れて仕舞ったのでした・・。
 今は使われて居ない、倉庫の片隅を見せて頂いた事が在りますが、60年代のオーディオセットや、Uマチックのビデオデッキ、70年代のリコーのファックスと・・。
 その当時の稼ぎっぷりが伺い知れます・・。

 日本自体も高度経済成長時代ですから、一番良い時代に結婚をし、子供達を育て上げたのでしょう・・。
 日本で育った息子さんや娘さん達も、今では世界各国で御活躍なさっているらしく、冬に成るとナヌワニさんは孫に会う為に、オーストラリアとインドネシアへと旅に出るそうです・・。
 奥様も一度お会いした事が在りますが、流暢な神戸弁を御使いに成るインドネシア人の奥様で、三人で話しているととっても不思議な気分に成ります・・。
   
 当然の事乍ら、僕より長年日本に居る訳ですから、当然・・日本人としても先輩に当たります・・。
昨日も僕が着けていた、水前寺清子さん柄のネクタイを見つけると、「チーターとひばりちゃんは好きよ!よくドラマも見てたね、ワタ鬼に出てた女優さん(山岡久乃さんの事)が出てた奴とか・・」と、70年代当時放送されていたTBSドラマ「ありがとう」の事を熱く語ってくれました。
 敬虔なヒンドゥー教徒でも在り、神様の話は果てしなく続きます・・。
もう、70歳も過ぎて、悠々自適な日々を送っていらっしゃいますが、様々な物への感謝の気持ちを忘れない其の宗教観は、心洗われる物が御座居ます。
 昨日も、福岡の時代から使っていると云う竹の物差しを見せて頂きましたが、半世紀を生きて居る物差しは、其の激動の時代を物語るには十二分な貫禄を醸し出して居りました・・。



タジマハルのタグですが、NISHITAMA郡だった時代からの物です・・・。

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2007年04月07日  06時22分
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