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2024年04月27日  04時36分
32年と云う年月
CATEGORY : [特殊な場所]
 プロ野球のセントラルリーグは、今シーズンの夏休みの企画として、各球団がかつて着用していた、懐かしいデザインのユニフォームを着用して、公式戦を行うと言う、 ファンに取っては誠に楽しみな企画を打ち出しています。

 グッズの販売と言う算盤勘定も在るでしょうが、リーグ全体でのファンサービスへの取り組みは評価に値する事でしよう。
 
 昨日も横浜スタジアムの緑のフィールドに散らばった32年前のユニフォームには、何とも言えない懐かしさが在りました。
 袖には今は亡きTAIYOの文字が縫い込まれていますが、大洋がベイスターズに成ってから既に17年経っていますから・・・当時10歳だった少年ファンでも既に27歳に成って居る訳です。
 古いファンには、永遠に耳から離れない曲・・・・コロンビアレコードが誇る最後の昭和歌謡歌手・三鷹淳先生作曲の「行くぞ大洋」なんかは歌える筈も在りません・・。
 
 僕が初めて横浜スタジアムに行ったのは1978年の4月4日ですから、器とユニフォームは同じでも行われて居る興行は,天と地との差がありました。

 当時はスコアーボードこそ、後楽園球場と並ぶ、悲願の電光掲示式に成りましたが、選手が打席に入る度の紹介の映像なんかは流れませんし、スタジアムDJも居なければ・・・チアリーダーも居ません。
 トランペットの応援も、まだ確立されて居ない状況でしたから、酔っ払いのヤジがピッチャーマウンド迄届いて居た時代です。

 今の選手は皆さん,1980年近辺の生まれ位な時代ですから、現在の興行の形態しか知らないのも当然です。
 再下位にも拘らず、2万4千人の観客の前で試合が出来ると云う事に、「有り難い」と思わなければバチが当たります。
 
 営業部と云うセクションが、前売り券と少々のグッズさえ売って居れば良かった時代とうって変って・・・、様々な企業とコラボレーションをして、チームをブランドとしてビジネスに結び付けて行く事との違いが、川崎球場に居た時代と大きく変わった事なのかも知れません。
 親会社の道楽で運営されて居る赤字会社とは、大きく違います。

 それにしても昨晩のベイスターズも不甲斐ないですな・・・。

 プロが全力でやって居るのだから、あれがチームとしての力量なのでしょうが「勝てない集団」と言う現場の雰囲気が、何となく感じられて仕舞います。

 我々の「撮影」と言う世界も同じですが「予定を消化する」と云う為に集まって居る集団と、「面白い物を造って居るんだ」と思って居る集団とでは、現場の空気はまるで違います。

 1977年頃の大洋は「オーナーの期待に添う為に頑張ろう」と云う空気が在った様です。
 当時の大洋球団のオーナーは,大洋漁業の社長・中部兼吉さんと云う方で、シーズンが始まる前に急逝したと云う事情が在りました。
 
 親族経営に抵抗の在る人の方が多いいのが,今の社会では当然カト思いますが、オーナーと云うポジションは、やはり名士か資産家と云うのが理想ですな・・・。
 雇われオーナーや出向オーナーじゃ・・・・なんだか夢や愛情の薄い・・・寂しい物を感じますな。

 ト云う訳で,本日の画像は打ち合わせの後に通り掛った、嘗て大洋ホエールズの練習場の在った、川崎市の等々力公園付近です。

  この看板も33年以上前に建てられた物で、近付いて良く観ると「大洋球団等々力グランド」とうっすら書かれています。


 この坂を下った所に当時は合宿所が在りました。
合宿の大きな風呂場には、人魚をあしらったタイル絵が描かれて居り、その風呂場で転んだ為に,ジャイアント馬場こと馬場正平選手はプロレスラーに転向したそうです。

 風呂場の横には小さなブルペンが在り、合宿の棟に隣接してコレ又小さな体育館が在りました。
 そのチッポケな体育館で,平松政司投手のカミソリシュートは生まれたと言い伝えられています。

カラー部分が1974年の航空写真による合宿所の全容。

敷地の隣の町工場群は,未だ健在で操業を続けていました。

 
 川崎市には,是非とも記念碑の一つでも建立して頂きたい物ですな・・・。
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2010年08月19日  06時30分
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永仁の壷事件
CATEGORY : [未選択]
以下、引用です
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 大正12(1923)年、10年程前に発見されていた、永仁2(1294)年製と銘打たれた日本の古陶磁の中で最古の2つの瓶子が、小山富士夫文部技官によって重要美術品として提案される。
 小山が永仁銘瓶子を真作であるとする根拠は、瓶子の発見者であり小山に永仁銘瓶子を引き合わせた陶芸家加藤唐九郎が窯跡から発掘した大量の陶片と、永仁銘瓶子の素材の質の一致であった。
 しかし、国宝保存会議は銘文の記し方などに疑問を持ち、重美指定を否決した。昭和34(1959)年、美術品の海外流出が顕著となっていた時代背景の中、2つの永仁銘瓶子のうち1つの所在が不明となったことを知った小山は、もう1つの永仁銘瓶子の海外流出を懸念して重要文化財の指定を推奨し、永仁銘瓶子は重要文化財に指定された。
 同年行われた展覧会への重文としての出品が、永仁銘瓶子の疑惑を再び加熱させた。疑う理由は、銘文の不自然さ、形態、重量の不自然さなど数多く上げられた。この瓶子が発見された愛知県の地元研究グループが調査を行い、その結果、小山が根拠とする陶片の真贋も含め、加藤唐九郎に対する贋作疑惑が強まった。
 昭和35(1960)年、加藤唐九郎の長男が贋作制作に携わっていたことを暴露し、次いでパリにいた唐九郎も永仁銘瓶子は自らの手による贋作であることを告白した。昭和 36(1961)年3月、永仁銘瓶子の重要文化財指定が取り消された。
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 その関係者の一人に、窯業の技術研究を生業として居た、私の爺様●●壽男氏(検索用に匿名)も居たらしく、何個か製作した物の一つを頂戴したそうです。

 別に、壷を古物商に売って,一儲けしようと思った訳でも無いそうですから、作品と言う物は何時の時代のどんな物でも一人歩きして仕舞う物なのでしょう・・・。

 その爺様も、喧嘩っ早かったらしく、窯業を基軸に「耐火煉瓦」「碍子」「ガラス」等の技術開発で大正・昭和の産業の発展に「技術屋」として、尽力しつつも放蕩の限りを尽くし・・・行方知れずに成る事屢々(しばしば)・・・子供達の就職の為に、夫婦は籍を抜き・・・事実婚と言う、実に奇妙な境遇だったそうです。
 大正〜戦前なんて、そんなドラマが一杯在ったのでしょうな・・・。 

 ト云う訳で、本日の画像は・・・

 私の祖母・タマエさんが、愛知県の知立駅前で営んでいた「玉夕」と言う飲み屋の燐寸・・・。

 カレコレ40年位前に製造された物ですが、親戚の家では未だに実戦配備されていました・・・。

 ライターなら使い物には成りませんが、マッチは丈夫なんですな・・・。

何とも言えない気持ちです・・。


 因に二つの家紋の意匠は・・・。

「丸に鷹の羽」は母方の実家の紋ですが「違い鷹の羽」に成っています。
そしてもう片方が・・・
 偶然だか、佐々木の分家に多いい「丸四つ目」と言う紋です。

 娘の嫁ぎ先の事を気にして造ったとはとても思えませんから、何かの偶然かと思いますが、奇怪な物です。
2010年08月16日  06時41分
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デスかも
CATEGORY : [未選択]
 大日本プロレスの道場には,今、暑苦しい練習生やら若手選手が7人も合宿生活を送って居るそうです・・。

 その暑苦しい中に,新たなる練習生が1羽 加わります。

 練習生の分際で,グッズが売り出されるなんてトンデモナイ事ですが、グッズでも出して周知の徹底を図らないと、後楽園ホールなんかに手伝いに行った時に、アトラクションから迷い込んだと想われて、遊園地に連れ戻されて仕舞う危険性があるからでしょう・・・。

 ト云う訳で新しい仲間「ですかも」です。(写真は¥315で絶賛発売中のウチワ)

「ですかも」のプロフィールDEATH

●生まれ  横浜市鴨居・鶴見川付近かも・・。
●身長体重不明(プロレス的・・)
●目標の選手  大日本の先輩たち
        (大橋さんを除く)
●入団の切っ掛け
 道場のそばの鶴見川で、お母さんガモ
からはぐれている所を、大橋選手が捕獲、
チャンコにしようと道場に連れて行かれた所、
道場のみんなに助けられ、入団を志願する。

●好みのタイプ♡
 優しくて包容力の在るカモ

●好きな食べ物
 デスマッチカレー

●苦手な食べ物
 鴨南蛮そば・・ 

●これからの目標
「早くプロとして戦える体を作って、カラスコさんと文体のリングで戦いたいです」

「海外遠征とかも憧れますが、パスポートの事が心配です」

「プライベートでは、ディズニーランドとか行ってみたいですけど、正面ゲートから入れるか心配です」

●大橋さんに食べられない様頑張り
ますので、応援宜しく御願い致します。


昨日「ですかも」君と会う機会が在ったので、ホルモンを一緒に食べに行きましたが、山盛りの御飯をお替わりした後に、店長さんのからのサービスで頂いた冷麺迄・・・半端無く食べてました・・。
 恐るべしDEATH・・・。

 「カラスコ選手とは,いずれ対戦してみたいKAMO」と、どんぶり飯を掻き込み乍ら、熱い闘志を燃やしていたのが印象でした。

 連日の猛暑の中、練習に余念の無いDEATH KAMOの挑戦は、始まったばかりですな。
2010年08月11日  15時36分
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浦島太郎
CATEGORY : [未選択]
 長い事、色々な作品で一緒に戦って来た制作部のOBI氏から、彼がラインプロデューサーとして参加した作品の鑑賞券を頂きました。
 チケットを貰っといて、観に行かないのも失礼な話しですけど・・・、映画は基本的には就業後とか、休みの日に観に行く物と思っていましたが、映像業界の人間が映画を観に行くのは「業務」の一環なので、朝から一回目の上映を観に行きました・・・。
 午前中に映画館に居る人なんて、会社をサボった営業さんか・・ハタマタ御隠居さんか・・・、若しくわ業界人と思っていましたが、イマドキは休日もばらけて居る様で、普通の休日感満載の御客様も多々居りました。

 しかし、映画館で映画を見るのも誠に不本意乍ら、数年振りなsasakittyです・・・。

 自分の関わった作品は、現像所の試写室なんかで見ていますから、映画そのもののテクニカル的な進化は理解していました。

 なのに・・・劇場と言う「興行」のシステムの進化には、全く予備知識が在りませんでした。

 昔の劇場なんて、入り口にモギリのおばちゃんが居て、特別鑑賞券を差し出せば、何時の時間でもどんなタイミングでも劇場内に入れた物でしたが、今の劇場は鑑賞券を渡したら、座席表を見せられて、その中から希望の席を選ぶ様に成って居るのです。

 指定席なんて、オートレース場の特別観覧席(通称・・特観)に入る時ぐらいですから、ラミネートされた座席番号表を見せられると、イキナリ戸惑います。

 しかもそのラミネートされた座席表には、売れた席に印がして居ないのですから、どこに人が座って居るのか解りません。

 大日本プロレスの席表も、川口オートの席表も・・・取り敢えず売れた席は消して在りますから、角川さんの劇場は少々不親切です。

 200人ぐらいのキャパで、どうせ15人ぐらいしか入らない訳ですから、目の前がアフロの人や、隣がボイラー並みの高温を放つ人だと溜まった物では在りません。
 
 「割と空いて居るのですか?」と訪ねて席を指定すると、勿論ビンゴで人が座っていました。
 なんとか解る様にして頂ければと思うのですが・・・、難しい物なのでしょう。

 そして劇場の中に入ると、空調が物凄く効いて居るのです・・・。

映画館と言えば、昔っから暑さ寒さを凌ぐ為に,クーラーは必需品な訳ですけれども、こちらの劇場の寒さは尋常では在りませんでした。

 昨年,埼玉県の岩槻の冷凍倉庫で撮影していた時は、15度が物凄く寒く感じましたが、動いて居ないだけ,寒さも半端では在りません。

 凍え死にそうな気分を味わい乍ら、なかなか良い出来の作品を楽しませて頂きました。


 因に画像を見て頂ければ解る様に、何処の劇場のどこの席を何時の回に観に行った咬まで解りますから,悪い事は出来ない様に成っている様です。

 今年は他にも久々に飛行機で移動する機会がありましたが、発券がQRコードを読み取らせる様に成っていて,可成り慌ててしまいました。


 世の中は、替わって居ない様で替わって居るんですな・・・。

 ボチボチ付いて往けなく成りそうですから、困った物ですな。
2010年07月23日  14時54分
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夢の工場
CATEGORY : [未選択]
 以前、「リア王」の頃の打ち合わせの後に、大日本プロレスの登坂部長と飲んで居る際に、良い話しを聞きました。

 「プロレス団体に取って、道場は選手を作り出す工場なんですよ・・・」

様々なメジャー団体やインディー団体が乱立するプロレス界の中で、道場とそれに併設する合宿所を所有する事は、結構大変な訳です。
 ましてや、リングとトラック、選手の移動用のバスとなると、インディー団体で総て揃って居るのは、大日本さん位ではないでしょうか・・・。

 当然、総ての団体に、リングや道場と言った総ての付帯設備を持てと言うのも、経営的には無理ですが、理想としては、若手の選手達が練習に打ち込める環境が在ると言うのは、本当に素晴しい事なのでしよう。

 僕なんかも、20歳代の中頃は会社のアトリエに殆どと言って良い程泊まって居ましたから、仕事に打ち込んだり・・仲間とと飲み明かしたりする為にも、24時間オープンに成って居る空間と言うのは有り難い物です。

 今ではセキュリティーの問題やら・・、ビルの空調の問題も含めて、会社や学校に泊まり込む様な猛者は居ないでしょうが、何時も溜まり場みたいに成っていて・・・行くと必ず面白い事が在ると言うのは良い時代だったのでしょう。

 撮影所の美術ルームなんてのも、そんな要素は在りますが、最近は作品毎に間借りして居るだけなので、作業環境も、倉庫としての機能性も、十分とは云えませんし、食事の問題からシャワーの有無まで、様々な問題が在る訳です・・。
 撮影所なんかも、工場と一緒ですから、昔は必ず社員用の浴場と言うのが在りました。
 今は、キャスト用の物は在りますが、スタッフがひとっ風呂浴びてさっぱりしてから帰ると言う文化も無く成りつつ在るのでしょう・・・残念な限りです。
 
 労働基準法やら様々な法律が在って、職場に住み込めなく成ったのでしょうが、部屋住みやら合宿生活は、やはり面白い物が在ります。
 長い人生のほんの5年ぐらいは、寄せ場みたいな暮らしも良い物ですな・・・。 


ト云う訳で、昨晩はD-ダッシュ
 一昨年前まで、頼り無さそうだった新人練習生達も、すっかり体も顔つきもプロレスラーに成って来ました。
 道場が選手を作り、試合会場で更に選手達は磨かれます。
 昨日も90人ものお客さんが、熱い声援を送っていた、若手育成の大会でしたが、此の中から、次の世代のメインイベンターが出て来る事でしょう。
 我々の業界も見習うべき物が在りますな・・。 

 人を育てるのは学校なんかだけではなく、時間や道具や材料の制約の無い、プロの環境が一番でなければ行けませんな・・・。
2010年07月12日  18時29分
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高田酒店
CATEGORY : [特殊な場所]
 資料の写真を探して昔のアルバムを開いて驚いた事が在ります。
もうカレコレ20年以上昔の写真ですから、結構色褪せ始めたりして居るのです。
 デジタルカメラの映像ばかり見ていますから、フィルム独特の感じが良い訳なのですが「必要な画像はデジタイズする様にしよう!!」と心に誓って、フィルムスキャナーなんて物を買ってみました。
 ネガ・フィルムをデジタルデーターに変換する機材なのですが、昔物凄く高価だった物が、今では1萬数千円で買えたりするから驚きです。

 ネガ自体も、色がおかしく成って居る物も在りますから、正確には全てのデーターの色補正をしなければ使い物には成らない訳ですが、資料レベルでは別に厳密な調整は必要ないとの判断から、ガンガン取り込んでいます。

 そんな中から御気に入りの一枚をご紹介致しましょう。
1990年頃、横須賀の汐入と言う場所に在った高田酒店さんです。

 戦前から在る建物なのでしょうが、典型的な港の外れの縄暖簾の酒場です。
一階奥と、二階が住居に成って居る、標準的な住付き店舗と云う様式で、奥の部屋に至っては、生活感満載の様相を呈して居ります。
 今、こんな暮らしをして居る人は皆無と云っても良いでしょうが、嘗ては標準的な店の作りでも在りました。
 その位、昔の時代はプライベートなんて言葉は在りませんでしたから、夜中に薬局に行って、薬を分けて貰うなんて事は、ザラに行われていた訳です。

 店内は勿論、夕暮れ時から近所の旦那集が、大相撲を眺め乍ら一杯やると云った風情の、由緒正しき隣近所の酒場です。

 スーツの客なんか当然きませんし・・・1990年当時は、酒場を有り難がって巡礼する人も礼参する人も居ませんでした。
 商売柄、古い建築と生活様式の資料収集の為に、写真を撮り歩いていたsasakitty青年は、当然ココイラの旦那集達と世間話をし乍ら、薄切りした大根の漬け物をつまみにサワーなんか飲んでいた訳です。
 20年前でも未だ、クーラーも無く・・ハエ取りリボンのぶら下がるカウンターの下で、団扇で扇ぎ乍ら、40年以上も代り映えのしない面子で繰り広げられる、目新しく無い話題が、中々耳に心地よかった記憶が在ります。
 
 昔の日本映画なんかでは、此のぐらいの密度の飾り方のセットが良く在りましたが、今時の細かくカットを割る撮影手法だと、いちいち飾りを退けたり移動したりが大変なので、実際の所・・・撮影効率を考えると使いコナセナイ場合の方が多い訳です。


 翌年に伺った際の画像では、台風で入り口の看板がぶっ飛んだそうでした・・・。

今でも在れば伺いたい所ですが、
 此の建物も、酒場自体も現存していません。
残念な事ですな・・・。

2010年06月12日  15時26分
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送り送られ・・・
CATEGORY : [秘蔵の品々]
 田舎のおばさんなんかが、忘れ物なんか送って貰ったりすると、決まって箱の空いて居る所に、お菓子やら何やら・・妙な物を詰め合わせて送って来たりします・・。

 先日、大日本プロレスさんの敏腕物販戦略部員のミス山口さんから、リア王のDVDの追加注文を頂きました・・。
 手頃な箱に、御注文頂いたDVDを入れた訳ですが、何となく空間が空いて仕舞って居ます・・・。
 
 箱に切り込みを入れて小さくするか・・・はたまたエアパッキンなんかで埋めると云う手も在ったのですが・・・、ミス山口さんのブログを見る限り、ヤヤお疲れなご様子でしたので、事務所に在る癒しの物達を掻集めまして、一緒にお送り致しました・・。
 御本人様は喜んで頂けたのか・・ハタマタ・・「畜生!!要らねーモンばかり入れやがって!!」と想ったかは定かでは在りませんが、取り敢えず奇襲攻撃には成功した訳です。
 不意を突くと云う行動は何時やっても楽しい物です。
 
 そして、諸々在りまして、新開発のグッズのサンプルを送るとメールを頂いていたのですが、到着した中身は殆どが反撃の品物の数々・・・・。

○ハバネロ柿の種のサンプル・・・
○マルカワ・オレンジマーブルガムの入浴剤
○JALオニオンコンソメスープ
○しあわせあげる・あぶらとり紙
○たばしおマッチ
○味の素玉子がゆ
○味の素梅がゆ
○グレート子鹿ブロマイド
○静岡産煎茶4袋・・・・・
○横浜赤レンガ倉庫のイベント予定リーフレット

 いやいや恐れ入りますよ・・・。
 
 私たちの様な、エンターティメントを生業として居る人達は、受け取ったお客さんの笑顔を糧に生きて居る訳ですから、このような仕返しは大歓迎な訳です。
 
 ほんとに笑わせて頂きましたが、こちらも次の策を練らなければ・・。

負けては居られません。
2010年06月03日  19時09分
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大日本プロレス設立十五周年記念大会
CATEGORY : [未選択]
sasakittyが初めて大日本プロレスと仕事をさせて頂いたのは、2003年8月21日の後楽園ホール・・・。
 「一軒家プロレス」と銘打たれたタイトルの興行で、2階建ての家をリングに選手達が戦うと云う・・・今、想うと途轍も無い物でした。
 当時団体が発足して八年目と云う大日本プロレスでしたが、今考えると厳しい会社の状況から何とか脱出しようとして居た頃だったと云うのが最近に成って解りました。
 「デスマッチ」と云う試合形式の団体も見た事が在りませんでしたから、初めて試合を見た時の驚きは今でも忘れられません。
 そんな大日本プロレスの皆さんに「お父さんのバックドロップ」と云う映画の作品に協力して頂いた頃から、更に深い間柄と成った訳ですが、そんな「大日本」との濃厚な時間も7年間と云う時間が過ぎていたと云う事を、昨日は改めて思った1日で御座居ました。

 数え挙げたら切りがないぐらい、大日本の大会を拝見させて頂いて来て居る訳ですが、彼等は本当に「プロレス」が好きで・・「大日本」と云う自由な世界を愛して居る「住人」達なんだろうと、つくづく感じます。
 それは・・選手だけに限らず、裏方と呼ばれるスタッフ、関係者の皆さん一人一人が「プロレス」と云うふしぎな世界・・「大日本プロレス」と云う、他団体とは稀な集団に何かの可能性を感じて集まって居る人々なのでしよう・・。
 開場前に、本部前で開かれた最終確認ミーティングのラフさとアバウトさを聞いて居ても「良くこれで此の規模のイベントが開催出来るな・・・」と、蓄積して来たノウハウの偉大さに驚く訳です。
 今時のイベント制作には、必ず「運営マニュアル」と言う物が存在して、派遣会社のアルバイトを中心とした杓子定規な管理運営が主流と成っています。
 昨日派遣会社の人に任せていたら、御客様の入場がスムーズに行かなかった訳ですが、途中で気が付き・・慌ててモギリに参戦して何とかスピーディーに入場させられた訳ですが、その臨機応変さが、今の世の中では、なかなか出来ない事に成って仕舞って居るのでしよう。 

 物販なんかでも、スピーディーに「こなす」と云う事よりも「間違えをしない」と云う事を「良し」とする傾向が、昨今では主流に成りつつ在ります。
 対応や、言葉使い・・・様々な物が「マニュアル化」されていますから、プロレス会場独特のアバウトな「テキ屋」とも「昔のサーカス」をも連想させる雰囲気に「興行は本来こう在るべき」と云う物を、僕なんかは無意識に感じ取って仕舞う訳です。

 寺山修司さんの映画「田園に死す」の一場面に、少年がサーカスの裏口からバックステージを覗き見する・・・あんな感覚が、今の劇場やら興行の世界には失われて居る物なのでしょう・・。
 搬出される・・・山積みの舞台の道具をみて「凄いな・・」と感じたあの感覚にも似て居ます。
 やはり「プロ」の見世物は「尋常」な物であっては行けないから「プロ」なのだと・・・・鍛え上げられた選手達の肉体や顔付を眺めて居ると、強く伝わって来ますな・・。

 
 そんな事を思いつつ、昨日は、開場後は物販を手伝って居りましたが、昨日の売店(あえてこの呼び方・・・)はリーダーのミス山口 以下、グッズを納入して居るサプライヤーの若旦那衆が大集結すると云う・・・リングの熱戦にも負けない、それは凄まじい商戦が繰広げられて居りました。
 コレ又、恰幅の良い旦那衆の皆さんは、やはり子供の頃からの「プロレス」の洗礼を受けた様ですから、物を売り乍らも実に楽しそうな訳です。
 口上を言い乍ら注文を取って、計算をし乍ら袋に入れて釣り銭を渡す・・・その間20秒とかですから・・KIOSK以上の処理速度を皆さん発揮して居る訳です。
 流石・・・商魂恐るべし若旦那衆です・・。

 サンリオのギフトゲートのオネーさんだったら・・・「ご自宅用ですか?」とか「マスコットはお付けしますか?」とか「ポイントは交換しますか?」とか言う話に成りますから、プロレス会場だと大変な事に成って仕舞います・・。
 選手も段ボール箱にグッズを入れて会場内を縦横無尽に売り歩きますから、日本の商人(あきんど)が最近忘れ掛けて居た「手売り」と云う「行商」の原点に、旦那衆も「ときめく」物が在るのでしょう・・・。 矢張り、商売の基本は現金を握りしめた時の感触なのでしよう・・。   サンリオの辻信太郎社長が・・ピューロランドの中で数百円のグッズを「手売り」して居る姿を思い出さずに居れません・・・。
 商品をお客さんに渡す時に現金と共に笑顔や期待感を受け取る感覚は、AMAZONの社員にも楽天の社員にも理解し得ない物なのでしよう・・。
 其処には「時給換算」や「タイムカード」や「サービス残業」なんて云う言葉も無い、闇市同様な商いのバトルロイヤルの世界です。
 大日本プロレスの登坂部長は山田洋次監督の「男はつらいよ」をバイブルとして居る御人ですから、その辺りにも深いこだわりを見せて居るのでしよう・・・。
 大会後撤収中に見せた旦那衆の、達成感に満ちた不敵な笑顔も、只「売れた」と云うだけではなく・・・、お客さんが喜んで呉れて居ると云う手応えをリアルに受け止めた、実感に因る物なのでしよう。
 

 と言う訳で、画像はバトルカンパニーから送らせて頂いた迷惑な花輪。


 酒場関連の皆さんも数多くお越し頂きまして、オマケに差し入れまで頂戴致しまして、本当に有り難う御座居ました。
 この場を持ちまして、厚く御礼を申し上げさせて頂きます。 

 最後に二つ感動した事は、「ロミジュリ」の時に御世話に成りました、元全日本女子プロレスのリングアナ・今井さんのコールが生で聞けた事です。
 全女の最期に立ち会われた方ですが、誰よりも松永会長を支えられた方の口からコールされた選手達の名前に、全女の長く深い歴史の重さを改めて感じ取る事が出来ました。  しかも大きな会場の大観衆の中・・「只今より女子プロレスを行います」と云った最初の言葉に「全女の魂」を受け止めました。

 もうひとつ印象に残ったのは、開場前の体育館を一人で黙々とランニングをした後、四股を踏んで居た天龍源一郎選手です。
 天龍選手も相撲の世界からプロレスラーに成った選手です。ストレッチの一環で四股を踏まれていたのでしようが、いつまでも自分のスタイルとリズムを守り続けるベテランの姿と云う物は、仕事をする者の姿勢として物凄く心を打たれる物が在ります。
 天龍選手クラスの超一級のレスラーと同じリングに上がった岡林選手は、昨日は計り知れない大きな経験を積んだ事でしよう・・。
 近い将来 岡林選手が横浜文体でベルトを賭けて、メインで戦える様な選手に成長した時に、15周年のリングで天龍選手に健闘を称えられた事を思い出す事でしよう。

 全力を振絞って物事に立ち向う熱い姿に人々は感動するのでしよう・・・。
 
 それは、あらゆる日常・・メジャーとかインディーとか・・そんな線引きすらも一切無い・・・最早精神の世界を垣間見る瞬間なのかも知れませんな・・。
2010年05月05日  10時16分
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謎の宿
CATEGORY : [特殊な場所]
 例えば・・・・。
自分が、都会や世間と云うしがらみを忘れて、山奥の民宿にぶらりと出掛け・・・、その辺鄙(へんぴ)な地方の人との温もりに触れて、癒される・・・。
 そんな幻想を抱いて旅に来て居る人に対して、受け入れる側の9割が東京などの都市部在住で・・・尚且つ、堅気(かたぎ)では無かったら・・・。
 旅行者にとっては裏切られた気持ちに成るに違いないでしょう。

 僕も以前、能登半島の鄙(ひな)びた温泉に、知人と訪れた事が在りましたが、その宿は鄙びて居るどころか「鄙びた感・・」と云う、日本人が何所か郷愁を求める所を売りにして、一財を成し・・鄙びた宿の裏手に在る屋根付きの車庫にフェラーリを隠匿して居る有様でした・・・。
 サービスを提供する側なんて、実際そんな物なのでしよう・・。
平成の時代に「つげ義春」の漫画に出て来る様な旅なんかは、ナカナカ出来る筈も在りません。

 と言う訳で、前置きに書かれて居る「カタギでは無い」人々の宿の従業員を1日やって参りました。

 本当は、手伝う予定は無かったのですが、馴染みのメンバーが揃っていたので、一宿二飯一晩酌の働きを手伝わせて頂きました。
 
 メンバーは、その宿を運営して居らっしゃる、某劇団のウルサガタ役者・・・そしてもう一人は、関西の某劇団の作・演出を務める座長さんで関西演劇業界の重鎮・・・・・そして三人目は某大手広告制作会社の管理職・・・・そして謎の着物の男sasakitty・・・・と云う、普段余り山間部に適応して居られない皆さんな訳です。

 とても「この村から出た事が無い・・」とか「東京には5年前にしか行った事が無い・・」とかそんな純朴なセリフの出なさそうな面々です。

 それでもまあ・・・連休のレジャーでお越しに成って居る皆様の夢を壊しては行けませんから、それなりに「純粋に仕事を楽しんで居る」と云う感じが伝わる様に努めます。
 
 当然皆さん40過ぎの大人が、気分転換に配膳やら接客やら皿洗いをして居ますから、そこら辺の嫌々手伝わされて居るバイト君とは笑顔の「質」が違います。

 一緒にやらせて頂いて居て、仕事の飲み込みの速さと、かなり熟練して居るかの様な連携プレーに感心させられる訳です・・・。
 さすがは普段 人の上に立つ人達は人からの指示なんか待ちゃしませんから・・・史上最悪のイラチ(せっかち)集団でもある訳です。

 僕なんかは厨房のバイトとかをした事が在りませんから、やり馴れない仕事は何をやっても楽しいのですが、若い時代にトラウマと成って居る人は、絶対に嫌がる作業なのでしよう。
 本当は群馬県の伊勢崎で、機屋(はたや)の旦那衆と一緒に着流しで博打(オートレース!!)をする積もりでしたから、sasakittyは着物しか持って来ていませんでした。
 この極悪な人相でTシャツにエプロンなんか着た日には、お客さんがボラれるんじゃないかと心配に成りますから、町まで戻って藍染めの前掛けを買って来ました。
 宝船の描かれて居るスタンダードな物と、誰が何の為に作ったか解らない不動明王の描かれて居る物と、二種類在りましたが、取り敢えず安全な方を選んだのは言う迄も在りません・・・。
 
 車に積んであった、細い麻縄でタスキを作って戦闘準備完了です。
最初に和装で現れた僕のツラを拝んだ二人の川原者は「お正月の人が来たで〜」と人の事を嘲笑って置き乍ら、今度は仕事する気満々のスタイルに成って居るにも拘らず「でかい丁稚(でっち)やな〜」と、畳み掛ける様に厭味を連発して来ます。
 
 こんな事で めげて居ては、この獣達の中では生き残る事はで着ません・・・。こう云った場合でも、仕事が出来ない奴は、せめて「形(katachi)」から入らないと御客様に対して失礼な訳です・・・。職人の基本姿勢でもあります。

 そんな塩梅で、狸やら狐やら熊やらは・・・人間にバレる事無く民宿の従業員に成り棲まし、お客さんの居なく成ったロビーで、コレ又都会から来た「法律の番人」と酒盛りをして居たと云うお話でした・・・・・。

 目出度し目出度し。



 画像は、謎の民宿に行く道中に立ち寄った別の宿に掛けられていた「大勲位」揮毫に因る書。

 「人生に意気を感じる・・」

           仰る通りかも知れませんな・・・。
2010年05月04日  04時27分
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嘘八百
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 子供の頃は「嘘をついては行けない」と教育されて来た訳ですが、成人してからと云う物嘘を吐く事を生業として居るのが現状なsasakittyです。

 子供の頃は、ウルトラマンや怪獣映画全盛時代でしたから、当時流行して居りました少年マガジンや、朝日ソノラマの「怪獣解剖図鑑」なんかは穴が開く程読んで居ました。
 今の子供の様に、ゲームやDVDやインターネットなんて楽しい物は在りませんから、人生のうちの記憶力なんて物は、その時代に使い切って仕舞ったのでは無いかと云うぐらい、漫画を読み、TVを集中して観てセリフ迄暗記した物なのです。
 
 いま頭が悪いのは、当然その時のリバウンドだと思って居ますから、同世代の馬鹿君達に出会う度に「集英社と東映と永井豪先生を相手取って集団訴訟でも起こすか・・」と本気で想う今日この頃です。
 
 そんな幼少期に、暇さえあれば大伴昌司先生の影響にどっぷり浸かった解剖図解のイラストばかり書いていた訳ですから、ロクなオトナに育つ訳がありません。
 しかし当時の解剖図は、世界的に見られた傾向では無く、日本独自の様な物と思われます。
 エンジンや船舶や車なんかのカットモデルや構造図は見た事はありますが、スパイダーマンの体内やらデススターの中やらスーパーマンの体内やらの、解剖図なんか見た事もありません。
 あんなグロテスクなインチキ科学イラストを真剣に見て居た世代なんか、恐らく人類の歴史の中でも、浩宮様を含む我々の様な昭和の子供達だけだった事でしよう。
 そんな変な子供達が、大人になってマニアックな構造の家電製品やら、家庭用品やら味噌の容器やら妙に速い電車なんかを設計して居る訳ですから、本当に困った物です。
 
 と言う訳で、画像はインチキな機械の構造図の下絵です・・・。
変な形状の機械や部品にもっともらしい名称を付けて、それらしいキャプションを付けて完成です。 科学的な根拠も裏付けも全くありませんが、コンセプトを考えてから技術と言う物が追い掛けて行くそうなので、完成して仕舞う場合もあるそうなのです。



 御陰様で、こんなイラストなら果てしなく書き続けられます・・。


 オマケにこちらのイラストは、大日本プロレスアブドーラ小林選手の解剖図。
こちらは割と事実に基づいて正確です。


2010年04月14日  13時00分
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ケトルベル
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 「Dダッシュ」と言う、若手の育成に重きを置いた大会が、月に一度横浜の野毛に在る「にぎわい座」と云うホールで行なわれています。

 ダッシュには目標に向けて「駆ける」と言う意味合いと、目標を「奪取」すると言う意味合いが込められているそうですが、連日の他団体の若手選手達も含めての、気迫漲る熱い闘いには目を見張る物が在ります。

 入門仕立ての若手選手や、2・3年目の選手でも、暫く会わないと、急激に体が大きく成って居ますから第3の育ち盛りを見守る方も驚く訳です。
 
 しかし、プロレスや格闘技は、適当にやって居るから怪我をしないのではなく、鍛えて居る部分を攻撃するので大きな怪我をしません。
 人間にも、鍛えても鍛えられない場所は在りますから、そんな所を殴ったり撃ったり攻撃すれば、当然骨折や筋の損傷等も起こる訳です。

 映画なんかのアクションシーンやプロレスなんかの現場に居ると、皆さん基本の「受け身」は特に念入りに練習します。
 リングにはマットが入って居るし、アクションシーンのスタントマンは、衣装の下にパットを入れて居ますから、それなりに安全は確保されて居る訳です。
 格闘技やアクションを真似て、道端でケンカなんか思いっきりやった日には、素人同士なら確実に怪我をします。
 顔には痣が出来て、拳は血まみれに成って、下手したら顔面を骨折するのがオチですし、一般人は、15分間フルで動く事など出来ない物なのです。
 
 そんなDダッシュでも、昨日在る若手選手が顎の骨を折る負傷を負いました。
打ち所や当たり所が悪いと、本当に大事故に繋がるのが格闘の世界です。
 首等も鍛えて居る訳ですが、顎は喰らうと可成り厄介です。

若い選手達には、体と共に「怪我をさせない」技術も拾得して欲しい物です。

 僕なんかの世界でも同じですが、怪我をしないのも、させないのもプロフェッショナルなのです。

 と言う訳で、画像は新規に導入した演出用照明機材だそうです。

 日々イロイロな物が増え続けて行く大日本プロレスさんですが、ウエイトを見てビックリ・・・・。











 道場に在るダンベルの一種「ケトル ベル」でした・・。
これなら運ぶ若手選手達も、トレーニングと思って取り組んで貰えるだろうと言う策略なのでしょうか・・・。

 ハタマタ・・・ウエイトを買う予算に事情が会ったのか・・・。
今度聞いて見る事と致します。 

 それにしても違和感が在りません・・・。

2010年04月04日  09時32分
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第三企画営業部
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 大日本プロレスさんとのコラボレーション企画を続けて居るsasakittyですが、一つ目の「リア王」の時は、50万円の「興行権付き福袋」と言う福袋を買って、あの伝説の興行を開催致しました。
 そんなこんなで、大日本プロレスさんとも7年の永きに渡っての御付き合いと言う事に成るのですが、sasakittyは第3企画営業部と云うヤミの部署を名乗っています。

 様々な営業体制で大会やイベントを作り上げて行く大日本プロレスさんですから、sasakittyなんかは、ファンの中から生まれた第3の営業体制と言う事で、第3企画営業部と名付けて、大日本プロレスをサポートして行けたらと思っています。

 企画力なら本体に負けませんよ!

 と、言う訳で、15周年横浜文化体育館大会の五反田地区のポスター貼りを任命されていますが、ボトルの置いて在るお店には、積極的に御協力頂いています。

 矢張り、レスラー達がいっぱい写って居るポスターが、飲食店に貼って在ると景気良さそうに見えますな!。

 映画全盛時代の正月映画のポスターなんかもそうですけど、オールスターキャストなんて感じのポスターの方が、賑やかで繁盛している様に感じます。
 

 昔は映画館のポスターなんかも街角で見掛けましたけど、最近は詰まらない政治家のポスターばっかりです・・・・。
 政治家のポスターも、盗みたく成る様な素敵な物なら良いのですが、欲しく成る様な物には、なかなか巡り会えませんな。
2010年03月24日  18時45分
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子供への影響力
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昨晩、事務所に戻りメールをチェックしていた所、一昨日の「大日本プロレス後楽園大会」に息子さん達と来て呉れたディレクターの方から、選手達と撮影なさった画像を頂きました。
 子供の肖像ですので御覧頂けませんが、あんなに目がキラキラして興奮している表情を観るのも久方ぶりな素晴らしい写真でした。
 美術を通じてエンターティメントの仕事に携わっていますが、矢張り楽しんで頂けたお客さんの顔を見るのが何よりも代え難い酒の肴な訳で、本当に嬉しい瞬間でもあります。
 テレビという媒体では、なかなかお客さんの顔が見えませんが、芝居や興行やライブなんかの仕事に携わると、拍手を頂いた事の有り難みは堪らない物があります。
 裏方でもそう感じる訳ですから、役者や選手や演奏家はヤメられない訳です。

 そんなsasakittyが初めてライブの興行に連れて行ってもらったのは、10歳の時でした。
 以前にも書きましたが、父の飲み仲間の大手ゴム製品メーカーの跡取り息子さん(当時)達に御招待して頂き、川崎球場に大洋ホエールズの試合を見に連れて行って頂いた事が切っ掛けでした。 
 天気の良い祭日のデーゲームだったせいも在るのでしょうが、未だに・・ナイターよりもデーゲームにビールを飲み乍らグランドを眺めている一時が、とても幸福に感じるのです。

 その時もう一つ巡り会った物が、このキャラクターです。







 正式名称がなんと言うのか知りませんが、1976年頃から採用されたWHALESのペットマークです。

 当時、ホームランを量産しスタープレーヤーとして頭角を現し始めた田代富雄選手を意識したデザインです。

 1977年頃と言えば、SANRIOさんでもパティー&ジミーのシリーズが人気を博していましたから、大洋球団が真似したのか・・・ハタマタ大洋球団が正式にSANRIOさんにデザインを依頼したのかは、30年以上を経過した現在では知る術も在りません。



 因にコチラがパティー&ジミーです・・・。





 ジミーの方が、アフロっぽい髪型ですから当時の田代選手に似て居るのですが、田代選手が一軍に昇格したのが1976年で、パティー&ジミーが商品開発されたのが1974年・・・でも田代選手が入団したのは1963年ですから、更に微妙です。
  
 何れにしても、当時の他の球団のキャラクターの中で、格段に可愛く垢抜けていたのが、微妙な立ち位置の大洋だったのです。



 1977年当時のユニフォームの袖のマークが「丸は」マークから件のペットマークに変更された事が在りました。
 当時は単純にリニューアルと受け止めていましたが、球団の株式を45%も西武(国土計画)に買われた為に「丸は」マークを外した、大人の事情が会った事もつい最近知りました。
 

 と言う訳で、KITTYが好きなのもWHALESが好きなのも、オレンジ色が好きなのも、全て野球場に連れてってて呉れたお兄さん(当時)が切っ掛けですから、大人が子供達の人生を変えて仕舞うという事は、たった一日、一回だけの事でも起こりうる事なのです。
 
 子供達や社会に与える影響を、大人達は常に忘れては行けませんな・・・・。

 追記
 昭和52年当時・・・跡取り息子のお兄さん達は若手社員としてバリバリやっていた時代でしたが、上のお兄さんは現在社長と成り、大人なら誰でも知って居る有名なメーカーを牽引され、弟さんは取締役として、お兄様をサポートしていた様ですが、数年前に他界されたと云う事を、先程ネットで調べて居て知りました。 
 未だ働き盛りだと云うのに、本当に残念な限りです。
   お会いして、お礼が言えなかった事が今更乍ら悔やまれます。
2010年03月21日  06時48分
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ロミジュリ発売り
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 昨日は後楽園ホールでの大日本プロレス後楽園大会の会場で「ロミオVSジュリエット」のDVDの初売りをさせて頂きました。
 関係者の皆様、選手達の熱い魂の結晶がDVDに成って居る訳ですから、売る方としても緊張する訳です。
 出来るだけ沢山の皆様に、もう一度あの感動と興奮を感じて頂ければと想いつつ、サムライTVの血圧たかしディレクターに御尽力頂き完成した次第です。
 昨日も、数多くのお客様に御来場頂きいて、盛大な盛り上がりを見せた大日本プロレスですが、今、インディペンデントの世界とメジャー団体との差が、次第に迫りつつ在るかの様にも、現場の勢いを見て居て感じます。

 日本の経済状況が、危機的状況に成って居る昨今、大手のスポンサーからの協賛金やテレビ放送での放映権料が減少する事態では、如何に運営体制で「貧しさに対する蓄積」が在るカト云うノウハウが求められるのでしよう。
 此所に来て急にリストラやら、人員の削減や、経費削減という事が謳われて居りますが、厳しい環境で闘って来た、小規模の映像製作会社やプロレス団体や劇団と言う組織は、貧しさに対するそれなりの蓄積が在りますから、これからはそんな所が生き残って行くのかもしれません。
 
 昨日も、搬入時から現場を見て居ても、バイト君や無知識なお手伝いの人なんか居ませんから、みんな率先して自分の仕事を見つけ出し、出来る事をテキパキと分担して対応していますから、恐ろしい集団でもあります。

 みんな、プロレスが好きで「大日本」と言う仲間達が好きで集まって居る皆さんですから、少しでも手が空くと直ぐに誰かのヘルプに廻るのです。
 
 インディーの映像なんかの現場では、手が空いていれば、撮影部の荷物も運ぶし、照明部の手伝いもし乍ら、他所の仕事も覚えて行ったりしますから、これからは色々な意味で、予算の無い場合での真価が問われる事に成るでしょう。
 仕事は与えられる物ではなく、造り出す物で在ると言う原点を改めて感じた一日でした。

 因に画像は、府中の市場の通路に描かれて居るレトロなイラスト。


 こう云った感性も失われつつ在りますな・・・。
2010年03月20日  15時15分
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東向島ブルース
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 濹東綺譚と言う、永井荷風先生の小説が御座居ますが、向島界隈という場所には、ナカナカ足を踏み込めない場所でもありました。
 まあ、切っ掛けが無ければなかなか伺う事も叶いませんが、昨日は初めて東向島の夜を楽しませて頂きました。
 楽しんだと言っても、別段、花街やら私娼窟も御座居ませんから、昭和の香り漂う・・・薄暗い町をふらふらロケハンして来た訳です。
 地元の御大上村右近先生からディープな町と人情味溢れる酒場を案内して頂きました。

 画像は、東武博物館に展示されている特急列車「けごん」です。
 小学校の修学旅行の帰りだけが、何故かこのカッチョイイ列車でした。
 
 夜も更けて、押上駅迄送って頂きましたが、ディープな町に燦然と聳え立つスカイツリーに、大変な違和感を感じずには居れませんが、何れこれが日常と成るのでしょう。
 演歌も何故かブルースに聞こえる、そんな夜でした。

実は、押上からだと五反田迄1本で行ける旅なので・・・・又伺う事と致しましょう。 
2010年03月11日  07時44分
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411mania » Wrestling » News
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 DVDの発売に当たって、改めて色々とネットで調べておりましたら、海外のプロレスサイトで、物凄く詳細にリポートして頂いているファンの方がいらっしゃいました。


 411mania » Wrestling » Newsと云う、複数のブロガーの方が色々な情報を書き込んで居るサイトの様ですが、横浜のホールで一夜限りの興行だったにも拘らず、物凄く沢山の皆さんの心に届いたと言うことを、改めて製作者として実感した次第です。

411mania » Wrestling » News

 インターネットやCS放送と言うメディアは、著作権者の利益を脅かす物でも、確かに在りますが、世界中に伝えたいと思っても、発信出来なかった事が、容易に出来る時代とも成った訳です。
 昔なら海外の映画祭なんかにコンタクトを取って、イチイチ出品しなければ人の目に触れる事すら難しかった訳ですが、YouTubeにアップするだけで、地球の裏側からでも見る事は出来る訳ですから、恐ろしい時代に成った物です。

 翻訳サイトで間違って訳された専門用語を笑い乍ら眺めて居ましたが、非常に好感を持って頂いており、シェイクスピア劇とのオーバーラップされている所を熱く語って頂いているみたいです。
 
 何だか翻訳版を作って海外展開したくなりますが、赤字が拡大するだけなので辞めて置きます。

 しかし、大日本プロレス(BJW)を取り巻くインディーレスラー達を、これほど評価してくれる海外のプロレスファンやジャーナリズムが居るわけですから、末端の関係者としても誇り高い物が在りますな。
 有り難い限りです。
2010年03月04日  12時23分
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ロミオVSジュリエット DVD
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大日本プロレスさんとのコラボレーション・ユニット
The Battle Campanyの第二弾
「ロミオVSジュリエット」のDVD-Rがいよいよ3月19日の後楽園ホール大会から発売と成ります。
 この大会は、サムライTV主催の「輝く日本インディープロレス大賞2009」ベスト興行賞の、なんと・・・・
1位 DDT8.23両国
2位 大日本11.20後楽園
3位 DDT9.6キャンプ場プロレス
4位 DDT11.29後楽園全ブランド集結
5位 大日本10.1ロミオvsジュリエット

  5位にランクされたのです!!。

 年間数え切れない程の大会が開かれて居る訳ですから、その中の五本の指に入るとは・・・まさに奇跡で御座います。
 投票して頂いた方々には、厚く御礼申し上げます。

 尚、今回のDVDはサムライTVの天才ディレクター、血圧たかし氏によるディレクターズカットバージョンとして再構築された物であり、オンエアーでは見られなかった映像も採録されています。
 イヤハヤ有り難い限りです。

 発売当日は、大好評で売り切れて仕舞いました、安齋肇画伯デザインの「安齋ロミジュリT」も限定発売させて頂きます。


 3月19日は「後楽園でsasakittyと握手!!」


2010年03月02日  14時57分
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メガミノチカラ
CATEGORY : [未選択]
2月の10日に発売と成りました
矢島美容室さんのPVの美術を担当させて頂きました。

 ディレクターは前作「はまぐりボンバー」同様、京島の巨匠☆上村右近さんですが、又しても右近さんらしい,金色の国会議事堂と黄金の日本列島と・・・スパンコールの富士山と・・・ゴージャスな世界が満載。
 普段では造る事の許されない物のオンパレードな訳です。
右近さんは、クレイジーキャッツの映画にも造詣が深く、HipHopなセンスをPopに昇華させる事が非常に上手な監督さんでもあります。
 
 この撮影ではセッティング時間を余り取れなかった為に、大小それぞれ4つのプールをこしらえました。
 ミラーボールも最大の物は1メートル50センチの物で、大きさ的には国内最大級だそうでした。 日本中に在庫されて居る殆どのミラーボールを買い占めたと言う事を後で知りました。
 ストロベーさんが,国会議事堂の横から腰をグライドさせて居る場面が在りますが、歴史的な映像が撮影出来た事に対し,興奮を禁じ得ません。
 イヤハヤ、大人達のする事って困った物ですな・・。
2010年02月16日  15時34分
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宗吾霊堂
CATEGORY : [特殊な場所]
 所用で千葉県の佐原方面に出掛けたついで、折角だから一泊しようと寒風吹荒ぶ房総の古い町並みやら古刹を巡って来た週末です。
 町が寂れて行くのには事情が在り、寂れた町が更なる観光資源として生まれ変わって行く姿も、一旅行者として興味深い所でもあります。

 何度か千葉は旅していますが、まだまだ行った事の無い場所は山ほど在ります・・・・。
最近話題に成って居る,千葉県警の不正経理問題なんて事が在りましたが、千葉県は割とその手の癒着や談合とかにはルーズな土地柄と云う印象が、ハマコーさんの時代の前から在ったみたいです・・・。
 ハマコーさんとは一度もお会いした事が在りませんから、良い人か悪い奴かは存じませんが、ネットで知る限りでは,数々の利益を千葉県に誘導した訳ですから,千葉県民的には功労者なのかもしれません。 

 トコロは千葉県の佐倉藩・・・・1651年頃(慶安4年)三年続いた飢饉と理不尽な迄もの年貢の取り立てにより、百姓達は一触即発の事態を迎えた時代の御話で御座居ます・・・。

 当時の藩主は若干21歳の堀田正信公と仰る方でしたが、正信公が江戸に行き多忙を極めている隙に、家老共が色々と悪事を働いていたそうなんです・・・。
 その悪政に怒った佐倉惣五郎(後に佐倉宗吾・・・以下、宗吾様)は、幕府の家老や役人に訴えたにも拘らず,ことごとく訴えは退けられ、宗吾様の村人を想う気持ちは遂に・・・・、家族とも絶縁をして、将軍様に直訴すると云う行動に出て仕舞った訳です。
 将軍に直訴と云えば、当時の法で当人は磔で血縁者は打首の刑だった様ですから、360年前と現在との感覚の違いは良く解りますな。

 意を決した宗吾様は1653年上野の寛永寺で将軍家綱様に直訴の訴状を渡した訳です。
直訴は功を奏し、藩の百姓に対する仕打ちは改善された様でしたが、宗吾様は磔の上処刑され,幼い子供等四人は打首に合い、妻は尼に成ったそうです・・・。
 360年前の隣の千葉の話しですよ・・・・。

 命を賭して村人達を救った、宗吾様の御遺徳を偲び佐倉の人々は今もなお、宗吾様をおまつりして居るそうです。 

 なんだか歴史の時間の様ですが、講談や歌舞伎向きのストーリーでも在り、更には宗吾様の祟りで、堀田家に災いが降り掛かったと云うスペシャルな後日談迄在るそうです。

 宗吾霊堂の境内に在る、霊宝殿にはなんと・・・新東宝で製作された「怨霊佐倉大騒動」と云う・・昭和30年代の如何にも新東宝っぽいタイトルの16ミリプリントが奉納されていましたから、何か因縁を感じます・・・。
 さすが大蔵貢(新東宝の当時の社長さん)目の付けドコロが違いますな・・・。 

 と言う訳で・・画像は宗吾霊堂のレトロなお土産物屋の並ぶ参道です。
宗吾霊堂へは京成本線の宗吾参道駅からが便利な様です。
 あと・・・特にお勧めは,昭和チックな書き割り満載の本堂裏手の「宗吾一代記念館」です。
 この記念館も,可成りの老朽化が進んでいますから、乃村工藝社が確立したパノラマ展示の技術の流れを汲む、現存する数少な展示様式ですから,ディスプレーを勉強する学生さんは、要チェックです。 
 
 直訴と云う手段で有名なのは,後に足尾鉱毒事件の田中正造さんなんかが有名ですが、民主主義の現代では、直訴する相手が有権者ですから、気の遠く成る話しですな。
2010年02月07日  20時08分
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乗車駅証明書
CATEGORY : [未選択]
 昨日は横浜方面の関係者の皆様と、新年のご挨拶に伺って参りました。
野毛界隈でアルコール漬けに成った後、トドメに新横浜の大日本プロレスさんの外食事業部BAR ReReReさんに伺って参りました。
 「リア王」「ロミジュリ」と会場にお越し頂いたファンの皆様達とも、色々な話しが出来て楽しかった訳ですが、気が付けば23時過ぎな訳です・・・。
 最近すっかり横着な人生をすごして居る為に、またまた新幹線で品川迄帰ろうと試みる訳ですが・・・辛うじて間に合いそうなのが「のぞみ」の上り最終列車です。
 まさか最終列車で一区間だけ乗るアホ等世の中には皆無な訳ですが、あのATMの振り込み時並みの操作を要する切符の販売機に辿り着き、財布からクレジットカードを探していると、窓口の駅員さんが慌てて「これ見せて下車駅で精算して下さい・・・」と貰った紙切れが「乗車駅証明書・・」でした。



 こんな物無人駅ではなく新幹線で貰えるとは・・・慌てて居る時は便利なシステムが在る物です。

 咄嗟な時は原始的なやり方が一番早い訳ですな・・・。

2010年01月18日  12時42分
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参賀
CATEGORY : [未選択]
 寝正月を防止する為に、元日から予定は目白押しなsasakitty
二日目も又濃厚な皆さんとの御挨拶が待ち構えて居ります。
 皇居へと参賀に行って、新たに一年間の人類の安寧を陛下に誓う訳ですが、昨年から東京駅でお友達達と落ち合ってから、参賀に行く様に成りました。
 以前も複数では在りましたが、昨年からは7人程の皆さんとワイワイ二重橋を渡り宮殿を目指します。

 皆さん顔の広い方達ですから、少し歩くたびに様々な関係者の方々に新年のご挨拶が始りますから、感心する事しきりです。

 参賀が終わると、乾門を抜けて靖国神社へと参拝に向います。


軽くお酒をいただいて、散会と成りましたが、ソコからは又・・・新年恒例の大日本プロレスさんの新春興行が後楽園ホールで行われる訳です。
 靖国からダラダラと水道橋迄歩く訳ですが、会場に付くとコレ又関係者やら選手の皆様と新年のご挨拶・・・。
 興行の世界に正月は無い訳です。

sasakittyも売店を少々手伝わせて頂きましたが、会場はもう割れんばかりの超満員で、幸先の良いスタートが切れた事でしょう。
 終わったのが九時半過ぎですから・・・濃厚な関係の一日を過ごさせて頂きました。
エネルギッシュな皆さんに負けない様老骨に鞭打って頑張りたい物ですな・・・。
2010年01月03日  08時13分
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日活国際ホテルの皿
CATEGORY : [秘蔵の品々]
 東京の日比谷の ザ・ペニンシュラ東京の建って居る場所に、嘗て日活国際会館と云うホテルとオフィスビルを兼ねた建物が建って居たそうです。
 昭和27年に完成した此のビルで、石原裕次郎さんも小林旭さんも結婚式を挙げたと云う、当時としては可成り洗練されたビルの様でした。
 僕が日比谷界隈で仕事をして居た時には、既に中途半端に古いビルと云う印象は否めなく、1階に入っていたアメリカンドラッグストアーなんかが、妙に60年代な雰囲気を醸し出していたのが印象的でした。
 日活国際ホテルのエピソードとして有名な話しは、当時の料理長の馬場久さんと云う方が、東京オリンピックの選手村の料理長をなさっていたそうです。

昭和45年頃に短い栄華を極めた日活国際会館は、某オッチャンの会社「三菱地所」に70億円で売却された訳ですが、当時の70億円って・・・現代で言えば4〜5倍らしいですから、トンデモナイ金額ですな。

 ト言う訳で、連日「日活」さんにまつわる懐かしい物を紹介致しましたが、最後はコチラで御座います。

 日活国際会館で使用されていたお皿です。
40年位使われて居なかった物かと思われますが・・本日は悠久の時代を超えまして、パスタなんかを盛りつけてみました。

 いや・・・パスタではなく「スパゲッティ」ですね。

皿の製造元は・・あの世界のブランドNORITAKEで御座居ます。
2009年12月21日  08時47分
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大道具さんの道具袋
CATEGORY : [特殊な場所]
 大工さんと同様、大道具さんも大工さんの流れを汲んでいますから、同じく道具袋と云う物を使います。
 昔は、金物屋さんやら材木屋さんの名前なんかが入った物も使われて居ましたが、昔の日活の大道具さんの物はイカしたオリジナルデザインの物です。

 白い帆布に黒と赤のラインがいかにも日活映画な感じを物語っています。

今だに旧日活OBの大道具さんなんかも使って居るのを見掛けますが、嘗ての映画産業華やかなりし時代が偲ばれますな。
2009年12月19日  05時40分
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堀久作
CATEGORY : [特殊な場所]
作業場の片隅に佇むかつての経営者のレリーフ
 


 堀久作さんは、日活と云う映画を語る上では不可欠な人物で、1960年代の日活の黄金時代から没落して行く1971年迄の波乱の時代に社長を勤めていらした方です。
 江の島水族館やホテル、不動産業の事業展開でも手腕を発揮もしましたが、ワンマン体勢でも有名な方だったらしく、一番有名なエピソードとしては、今日に伝えられる鈴木清順監督の名作「殺しの烙印」を「わからない映画を作ってもらっては困る」と名指しで非難して清順さんを契約解除に追い込んだ社長さんです。

 そんな、一時代を築いた人物のレリーフが、大道具の作業場の傍らに・・誰にも気に掛けられる事無く放置されています。
 
 栄枯盛衰を感じますな・・・。
2009年12月17日  14時42分
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どっこいのジンギスカン鍋
CATEGORY : [秘蔵の品々]
 昨晩は、二年前の12月に他界した東府中のどっこい酒場のマスターを偲んで、地元五反田のジンギスカンJackさんでジンギスカンを頂きました。

 そのジンギスカンに使用したジンギスカン鍋は、20年前に初めてどっこい酒場でジンギスカンを食べた時の鍋を、店の閉店した記念にマスターから譲り受けた物です。
 10年振りくらいに火を通した訳ですが、鍋の大きさやらデザインから当時が偲ばれます。

一緒に鍋を囲んだヤドカリ氏とも、どっこい酒場では何遍も呑んだ間柄ですから、二十年の歳月なんてあっと言う間な感じです・・・。
 鍋には何故か・・・ヤドカリ氏の家で栽培されている巨大エリンギやら・・深谷ネギやらが非合法に持ち込まれて投入されて行きます・・・。

 鍋やら食材やら持ち込む本当に迷惑な人達です・・・。

 ジンギスカン鍋なんて穴も開きませんから、焦がした処で死ぬ迄使えそうな代物です・・・。
 コレからも家宝として、後世に伝えて行ければと思います・・。




それともう一つ!目出度い情報が!!
 本日未明に発表された2009年東スポプロレス大賞の、年間ベストバウトに、11.20葛西純対伊東竜二戦(於・後楽園ホール)が輝きました!!。
 年間何試合行なわれて居るか把握出来ないプロレスリングの試合の中で、最も印象に残った試合が大日本プロレスの試合だったとは、嬉しい限りであります。
 当日は撮影で会場には伺えませんでしたが、6年越しの因縁の対決ですから・・・会場の熱気も然る事乍ら、セコンド陣の緊張度も凄かった様です。

 しかも嬉しい事に、当日使用されたマットは2008年3月にsasakittyが大日魂と描いてファンの皆さんの寄せ書きと併せて作り上げたマットです。

 数多くの大会や、練習ですっかり貫禄の出たマットに成ってますが、2009年のプロレス界の最高の試合に参加させて頂いた様で、本当に有り難い物です。
 闘った葛西選手も伊東選手も素晴らしい試合を見せて頂きましたが、メインイベント迄会場の熱気を作り出した、1試合目からセミファイナル迄闘った全ての選手、数多くの裏方さん達の情熱が、あの試合を紡ぎ出したと云う事は、紛れの無い事実です。

 インディープロレスと呼ばれるプロレス興行ですが、プロレスに対する情熱や愛はメジャーもインディーも、どインディーも関係無いと云う事が、認めて貰えた日の様な気分です。 
 プロレスは観客と選手とで造り出す最高のエンターティメントですな・・。
葛西選手・伊東選手 本当に凄いな!!。



2009年12月09日  07時46分
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